良い事だからと言って
やり過ぎると毒に成る。
小さい頃叔母によく諭されていました。
≪#0578≫
今日もありがとうございます。
生きる為に必要な「根っこ」探しをしている高坂一彦です。
いつからか解りませんが
努力が最も尊いものという
価値観が根付きました。
例えば、勉強が人生最大最高の行いだと感化されれば
寝食を忘れて、勉強に没頭する。
(そう長続きはしませんでしたが。。。)
野球で大切なのは努力!と、聞けば
毎日毎日、バカみたいに素振りをする。
(こっちは、3年以上は続きました)
努力と意固地になることの区別がつかない自分がいます。
そこで、その時の自分は努力をしているのか
意固地になっているのかを判別する方法に
「楽しんでいる」か、自分に問うています。
楽しんでいるのであれば良し。
苦しみに耐えているだけなら意固地。
こんな感じで何とか答えを出そうとします。
しかし、これでもまだ本質には辿りついていない。と
感じるこの頃です。
自分が楽しいと感じるコトが
周りに多大な迷惑をかけている場合があります。
これも、小さい時の思い出です。
現在の例を挙げると生々しいので。。。
小学生の頃には、
分譲住宅地に住んでいました。
家の前には必ず壁があり
そこに、毎日ボールを投げて遊んでいたのですが
ある日、気が付いたことがあります。
ボールが壁に当たるときの音が「うるさい!」
どうして、それに気づいたかは
今となっては定かではありません。
記憶からは消えましたが
おそらく、何か嫌な思いをしたような気がします。
(たしか、近所の人に腕をつかまれて脅された?)
自分としては、
遊びとはいえ、毎日毎日努力をしているつもりで
意固地でない証拠として
とにかく楽しい!
でも傍からすると
迷惑甚だしいことだったんですね。
大人になった今でも
時々感じることです。
その一つに早起きをして
仕事やルーティンを行うこと。
自分としては、
家族の為だったり
将来の夢の実現のために
早起きをして努力しているのだが
一緒に暮らしている家族からすると
安眠を妨害されていると感じるかもしれないし
気持ち的には許せても
身体に影響が蓄積されているかもしれない。
最悪は病に伏す可能性も無きにしも非ず。
そんな時は、
自分は努力しているし悪くないからと
突き進むことは、あまり得策といえません。
これを称して「我を張る」と、言うようです。
自分(我)を捨てるとか
手放すとか言いますが
その事柄自体を捨て去るのであって
大切なものにこだわる
自分の生き方は大切にする
こだわっている事柄の方はさっさと手放した方が
自分が楽になり幸せ感を得られるから。
でも、大切なものにはこだわる
そんな自分を大切にしたいものです。
誰かの利益になることは
誰かの不利益になることは世の常かもしれません。
結果「出る杭は打たれる」状態になることが多いです。
もちろん、
周りを気にしすぎるのも良くありませんが
折角のご縁で身近にいる人であれば
その人の事も一度は思いやってみるのも
悪くないかもしれません。
自分のこだわりより
ひと回り大きな観点で観るチャンスが来ていると思えれば
結果的に、自分の器もひと回りもふた回りも
成長できるような気がします。
そして、一番大事なことは
思いやりの精神を持ちながら
自分の夢に向かって
工夫をしてやり続けることです。
一番やってはいけないのが
相手の気持ちに屈してしまい
すべてを放りだしてしまうコト。
現状を受け入れるとは
工夫して何とか前に進もうとすることです。
決して、体よく諦めることではありません。
高坂一彦 拝
