かずのブログへようこそ! ≪#0063≫
誰でも1度は、
凹んだことがあると思います。
私などは、すごい頻度で凹んでます。
私の心の疲れは、
この心の凹みから来ることが多いです。
この前の日曜日も
ある講座に参加をしました。
どんな講座かと申しますと
1対1で人の話を聞いて
相手の気持ち(感情)を
聴くという講座です。
資格取得が最終目標です。
そこで、相手の話(感情・気持ち)を
聴くトレーニングを行うわけですが
内容を把握して話を聴くのではなく
見ず知らずの人の話を
丸っきりゼロの状態から聴き始めます。
そして、その話のほとんどが
話し手のリアルな深刻な話。
話しを聞いていくうちに
自分の経験と知識では
理解できない話に展開していきますが、
とにかく、聞きつづけなければなりません。
そこで、相手の気分を害するような
質問など出来ないので
質問しようかどうか迷っていいる間に
話しは次に展開しているので
次の話も理解できなくなる。
そうすると、
たまたま、その時の話の流れから
私には、苦笑いをするしかない
内容の話しを聞いていました。
その瞬間
講座の先生から
「なにを笑いながら人の話しを聞いてるの?」
と、きついお言葉。
質問だったので答えなければならず
「どんどん、話が進んでいって
瞬間瞬間の相手の気持ちの理解が
出来なくなったので、苦笑いをしてました」
先生「・・・・」
この場合のご指摘は、
相手がつらい想いを話しているのに
薄ら笑いを浮かべてしか
人の話を聴けないのであれば
この仕事を目指すのを止めれば。
と、聞こえてきました。
ごもっともでございます。
私だけかもしれませんが、
人は、どうしようもない状況になると
苦笑いをしてしまう事が
あるのではないでしょうか。
それらは、人それぞれの癖のようなもので
人によっては、
おどおどした表情になったり
無表情になったり
不機嫌になったり
様々な癖が出てしまう。
今回の一連の出来事で
がっくり来た本当の理由は、
講座が終わってから
その癖が身に付いた経緯を
自分自身で探ってしまったからです。
心の中では辛いのに
表情では、薄ら笑いを浮かべている
自分の行き場がなくなり
心が、助けてくれ~。
と、悲鳴を上げているとき。
でも、この時に泣き叫んでも
どうすることも出来ない。
現実を変えることは不可能なときは、
自分の感情を捻じ曲げるしかない。
そう思ったときに、
人は、笑ってしまったり
逆に無表情になったり
本当の感情とは
違う表情を見せてしまう。
幼少の頃に悲しい体験をしたときは
泣き叫ぶことができても
小学生くらいになると
「ぼく、平気だよ」と、
笑いながら平静を装う。
今ならはっきりわかります。
この時、現実に起きた事と
それを感じた自分の悲しい気持ちを
一度受け入れなければならなかった。
受け入れて「ぼく今とても悲しく、寂しいよ」と
言った後に「でも、頑張るよ」と、いう展開が
必要だった。
それを思い出し
凹んでしまいました。
前回のブログの冒頭で書いた今の疲れは、
40年間の疲れが
どっと襲ってきているようです。
そこで、今回のテーマ
疲れをどうやって癒すか。
幾つか方がありますが
私の一番のおすすめは、
誰かに、今の気持ちを話しする事です。
今の気持ちをそのまま
感じたままで話す。
そうしたら、こころは自ら
次に進むことができる。
この場合、難しい問題が二つあります。
条件を整えないといけない事です。
一つは、相手が必要なこと。
もう一つは、話を聴く相手は
ただ、話を聴いて、全部肯定すること。
話し手に100%寄り添う姿勢が必要。
決して、否定したり、アドバイスしたり
同情してはいけません。
どうやら、人間の心は
本当に自分の感情を
肯定してもらえたら
自分で心の問題を解決したり
苦難を乗り越えられるように
出来ているらしい。
この二つをクリアーにしなければなりません。
そんな状況なかなかないですね。
だから、心が風邪をひいてしまう人が
多いのかもしれません。
では、この二つが用意できない場合は
どうするか、それを次回お話しします。
2016年の目標の一つに、
自分流の疲れの取り方を
レポートでまとめようと思っています。
自分の事なので、
何をしたら
どの部分が疲れるのか、
それを、どう癒すのか
もっと細かく言えば、
どんな言葉づかいをすれば
疲れないのか。
どんな考え方をすれば
疲れないのか。
どんな姿勢をすれば
疲れないのか。
どんな習慣で
疲れないのか。
徹底的に追及していく予定で
レポートの企画は出来上がっています。
それでは、次回まで
ごきげんよう。
高坂一彦 拝