前回の「愛着障害①」の続きです。

 

 

愛着障害は治らないのか。

私は正直、治らないと思うんです。

 

 

これは自分自身の経験を通して、

またカウンセリングをしてきた中での

私の解釈なのですが、

 

 

幼少期に与えられる影響というのは

細胞レベルで感覚として残る

と私は思っています。

 

 

その感覚とは、

におい、味、肌触りなど...

 

 

肌から感じ取られる感覚、

耳から入ってくる音の感覚、

目で視覚として捉える感覚

 

 

 

つまり頭の中の思考ではなく、

五感で感じるものです。

 

 

そしてその感覚は、

細胞レベルで自分の中に残り、

人生に影響を与えるのです。

 

 

子ども時代に感覚から得た経験は、

今でもずっと記憶にも残りますよね。

思い出も、感覚を通して蘇るはず。

 

 

だから、幼少期の寂しさは、

細胞レベルで「足りない肌感覚」

として残っているのだと思います。

 

 

肌感覚は自分に強い影響を残す、

とても印象深い感覚です。

 

 

足りない肌感覚とは、

足りていなかった愛情。

 

 

ただ大事なのは、愛情はあったということ。

本当に愛情がなかったのではなく、

足りないと感じていただけだということ。

 

 

 

そして愛着障害があると知ったなら、

その「足りない肌感覚」を埋めるのです。

 

 

埋めるとは愛を感じること。

温かく、安心できる愛を感じること。

 

 

それが家族とはもう叶わない場合もある。

それなら新しい家族を作ればいい。

 

 

自分の「足りない肌感覚」を埋めてくれる、

信頼できる人と人間関係をつくる。

 

 

これが一つの解決です。

 

 

ただそのために大事なことがあります。

それは自分を知ることです。

 

 

「足りない肌感覚」がある自分に気づき、

受け容れなければいけない。

 

 

 

生きていく中で、「足りない肌感覚」は

また何度も蘇るかもしれない。

 

 

でもそのさみしさを感じて生きていくって、

素敵だし、とても人間らしい。

 

 

「ああ、さみしいな」

「あの人に抱きしめてもらおう」

「さみしいからあの人に会おう」

 

 

 

さみしさをちゃんと感じて、

そのさみしさを埋める作業を繰り返す。

 

 

そして次の人間関係をつくっていく。

自分だけの大切な関係をつくっていく。

 

 

そんな自分でなければ

出会わなかった人。

 

 

そんな大切な人を、

信頼できる人間関係を、

作っていけばいい。

 

 

 

私自身も愛着障害が

ある人間だと思います。

 

 

肌感覚の足りなさは

今でも感じることはある。

 

 

でも今は、大切な人がいて、

心地いい人間関係があって、


 

満たされる感覚というものを

感じながら生きている。

 

 

それでいいんじゃないかな、

と思います。



そんな自分なりの幸せの形を

作っていけばいいと思うのです。