奇妙な夢の話 | 不思議なできごと

不思議なできごと

できるだけオリジナルな、或いはそれに近い怪異譚を公開してゆきたいです。

 昨日不思議な夢を見ました。
 私は休日の前夜は午前3時や4時、下手したら朝まで起きていて何かをしている人なので、休日に起きるのはお昼前後が多いのです。昨日もそうでした。午前10時頃、私はいつものように未だ眠っていたのです。そして、夢を見ていました。

 私は母親が住んでいる実家の前に居ます。しかし、いつもの視線の高さではありません。私の胃の高さくらいに私の両目があるのです。そして、実家1階の居間のガラス窓を見上げていました。それは一番外側に網戸が掛けられ、その次にアルミサッシ、そして一番内側に木枠の窓となっており、いわゆる寒冷地で進められている二重窓です。まあ、それはいいとして、その、まず一番外側の網戸が全開されていて、その内側のアルミサッシと木枠の窓も半分程度中途半端な感じで開かれています。ああ、このままでは虫が入ってくるな、と思いました。私は家の中に虫が入ってくるのがいやなのです。それは母も同じでした。網戸を閉めることに関しては非常に神経質な2人です。
 ですから、私は外側の網戸を閉めようとしました。しかし、石膏で固められているように体が全然動かないのです。そこで私は母を呼ぼうとしました。呼んで網戸を閉めるよう促そうとしたのです。するとその時、母が奥から窓辺へ寄ってきました。そして、南の空をじっと見詰めています。何を見ているんだろう?私は一瞬考えましたが、それよりも前に、まずは網戸を閉めてもらうのが先決だと思いました。そこで、声を掛けようとしました。が、声が出ません。体だけではなく、口や頭までもが金縛りにあったように動かないのです。それでも私は腹に思い切り力を入れて声を出そうとしました。しかし、出たものは通常の声ではなくだみ声の叫びのようなものでした。
「あががぎぐううぅ~~」
という奇妙な叫びが自分の頭の中で響きました。その内容はともかく、声のようなものは出たようだと思い、母を見上げましたが、母は未だ呆けたように空を見詰めているだけです。私は母も自分自身も様子がおかしいと思いました。そして、自分の視線の高さが低い理由を知りました。私は直角に礼をした感じに腰を曲げつつ、更にそれを左側によじり、そして顔だけは右側に向けるという非常に不自然な姿勢でいたのです。これはいかんと思い姿勢を正そうとしても、やはり体は動きません。やっとのこと、右手の人差指が動きました。それで、私はその人差指を動かしながら、今一度叫んだのです。
「おおがあ ざぁ~むぅ」
自分でも気味の悪い声だと思いました。そしてこの声のインパクトで起きてしまったのです。
時計を見ると午前10時。眠りに就いてからまだ5時間も経っていません。まだまだ睡眠不足です。でも、頭はすっかり起きてしまいました。そこで私はこの勢いのまま起きてしまい、朝食を済ますと実家へと向かったのです。それは夢の内容を確かめるためのものではありませんでした。いつものように実家の2階にある事務所で自分の仕事をしようと考えていただけなのです。しかし、実家1階の様子を見て、その考えを変えました。居間の窓の網戸は閉めてありましたが、アルミサッシと木枠の窓は夢と全く同じ中途半端な開き方をしていたからです。
 私は家に入ると早速母を問い質しました。
今日の10時に何をしていたか?網戸を開けていなかったか?窓は今と同様の開け方だったか?窓辺に立って空を見上げていなかったか?そして、その時何かを見たり聞いたりしなかったか?

 その頃窓は開けていたし、網戸も開いていたが、ほんの少しの時間だったし、窓辺に立っていた時もあるかも知れないが、外の天気をちょっと確かめた位だったし、その時、特に変わったこともなかった。母親はこう答えました。

 なあんだ、やっぱりただの夢だったんじゃないか。
 私はがっかりして2階へ向かいました。最後に母はその背中に向かってこう声を掛けました。

 だけど、お前、なんで網戸を開いていたの、知っているのかね?


[これはあくまでも夢の話ですから、幽体離脱したとか生霊になったとかいう類の話ではありませんが、なんとなくですが霊の事について考えました。霊は出て来た時ものすごい形相だったとか、訴え方が気味悪いとか、声が聞こえにくいとか、何を言っているのかよくわからないとか言われますよね。自分はこれらのことを“この世”で行うことは非常に大変なことだからそうなってしまうのではないだろうか、と考えるのです。本当は人を怖がらせたり、災いを振りまこうとしている訳ではないのに、何故かこの世では普通の振る舞いが非常に困難な状態になってしまう。だから、とても不自然な状態で出てしまうのではないか。ということです。本当は霊たちは普通にそこに居るだけだったり、挨拶をしようとしているだけだったりするのではないか、ということをです。]