2005-07-01 05:16:26

自伝~番外編~

テーマ:歴史

前も書いた通り、

僕は新宿産だ。
歌舞伎町なんて、当たり前で育った。

で、ド田舎の風光明媚な素晴らしい街へ来て4年。

なーんか違うぞと。

肩に力、入りっぱなしだぞと。

写真も復活して、撮りはじめてみて
「あれ? こんな綺麗な風景つまんね・・・」

「もっと人間のドロドロしたとこ撮りたい・・・」

とか思っちゃった訳で。

それって、歌舞伎町じゃんって(笑)

人間の欲望から本能の縮図。
それは、新宿歌舞伎町って思うんすよ。
育ってきてるから、なおさら。

やっぱ、あの無国籍な町並み見ると安心するし
きったねー早朝のゴミダメ見るとホっとする。

やっぱ、俺の身体に流れてる血は、
所詮、歌舞伎町なんだなーって。
ドロドロしてんだなと(笑)。

で、健康でこぎれいで、スラっとしてて
スーツなんて似合っちゃって・・・

ありえねぇ・・・

酒こそ飲めないけど(病気で)、
タバコ吸って、ゴホゴホいっつも言ってて
薬しょっちゅう飲んでて
で、最後は、歌舞伎町の電柱の下で
ゴミまみれになって死んでる・・・

みたいな、そんなんがやっぱ自分っぽいよなぁーって

六本木に住んでたこともあるけど
なんかやっぱ、六本木は、歌舞伎町とは違う。
俺から言わせれば、全然綺麗。
ドロドロしてない。
街自体狭いしね。

世田谷に住んでた時と、今の地方暮らしは似てるかな。
多摩川がスグそばにあって
渓谷とかもあって
鳥がチュンチュン鳴いてて
すがすがしい朝とか来ちゃって(笑)

なんか、今考えると違和感あったなぁと。

やっぱ、ドロドロだよ。ドロドロ。
ラーメンもドロドロがいいしね(笑)。

専門学校も、大久保から北新宿、職安通りに校舎があったから
殺人事件あったり
授業で校舎移動すると、売春婦の南米系のセニョリータに声かけられたり

夜中になれば、
「ここどこの国だよ?」
ってくらい、

韓国語だー、スペイン語だー、中国語だー、英語だー
何弁だーあんだーかんだー飛び交ってて
どこだよここ? って本気で思った。

たまに
「ぱーん!」
なんて、銃声聞こえちゃうし(笑)

新宿ヒルズなんて、絶対建たないだろうなと。
六本木だから、いーんであって
御殿山だからいーんであって
恵比寿だからいーんであって
新宿じゃねーだろうと。

そんな新宿がやっぱ故郷だなと。

こういう健康的な環境に居ちゃいけねーなぁなんて

最近富に思う僕は
歳なんでしょうか?

あと2年ちょいで、四十路ですし(苦笑)。

とにかく、やっぱ根っこは、
産まれ育った新宿なんだなと
実感する今日この頃です。はい。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2005-06-29 16:02:46

勝手に自伝-その3?-

テーマ:歴史

自伝の続き書くの忘れてました(笑)

で、某出版社に入って地獄の日々が始まった。

編集歴が1年しかない僕らは、途方に暮れて
アスキー時代の先輩を九州から呼び寄せて
1ヶ月鍛えてもらうことにした。

そして、徹夜徹夜の連続の後、

無事、我々3人が創る第一号が完成した。

そこからは、もう3人で、必死に創った。
当時秋葉原は、食事できるとこもなく、
出前のピザと富士そばだけで、

朝になったら、富士そば行って、そば食べて

あとは、出前のピザ。
おかげで、未だに出前のピザ恐怖症(笑)。

見るに見かねた、当時看護婦をしていた
我が妻が、エスティマでやってきて
弁当創ってきてくれて
(しかも夜勤明けに寝ずに来てくれた)
弁当食べて、
いつも床で寝てるから
エスティマをフルフラットにして寝てみたり(苦笑)

その時に、日本で初めてのインターネットの連載を始めた。

そして、部数も伸びてきて、
いい機会だから、リニューアル! ってことになって
日本初の、パソコン購入購買専門誌「月刊PCセンサー」を発売した。

そして、これまた誰もやってなかった
正当に製品を評価するというカケに出た。
レーダーチャート付けて、製品に点数付けて
ホントはどうなのか?
と。

まー大騒ぎでした(笑)

メーカーの接待も僕は全部断るし。絶対行かないし。

ただ、ひたすら評価を真剣にする。

売れました。この本。
その代わり、各メーカーの広報にチェックされました(笑)
僕の書いた原稿は、ファクスで回っていました

当時仲良かった、アップルの部長さんが
「また回ってきたよー」
って教えてくれました(笑)

若かったからできた?

体力あったから、できた?

時期でした。

そして、部数が安定し、経営も安定したので
僕は、自分の会社へ戻っていくのでした・・・。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2005-06-21 02:19:14

自伝!?~2~

テーマ:歴史

さて、困った・・・4月まであと1ヶ月。
歳も、大学2つ中退して、専門学校3年行ってるから
いい歳だ・・・。

1日悩んだ結果、

「よっしゃ! ライターで出版で食っていこう!
 とりあえず、自分が普段読んでて、好きな雑誌、
 編集部に手当たり次第アタックしよう!」

と決めて

翌日から、手紙、ファクス、メール、電話で
売り込み作戦開始。

で、興味を示してくれたのが
MdNの当時の編集長とアスキーウインドウズマガジンの編集長と
アスキー編集統括部長をやっていたT氏だった。

で、逢っていただいて、MdNは、学校やめて今すぐ来てくれるなら
って条件だったので、まだ論文が残っていたし
卒業まで学校がまだ残ってたので諦めて
アスキーにお世話になることに。

で、実は、アスキーの新卒採用試験受けてたんですよ(笑)
見事落とされまして(笑)

で、4月から、契約社員として、何食わぬ顔をしてアスキー入社(笑)
新卒採用試験ってなんですか?(笑)

さーて地獄の開始です。契約社員なんで、月給8万で(笑)
24時間365日仕事仕事仕事。
編集スタッフは、床で寝るのは当たり前。
大家と呼ばれる人も(年に数回しか自宅に帰らないから)。
で、ほぼ当時のアスキーは、アルバイトと契約社員が占めてて
社員は少なかった。まあ出版だからね。

で、某編集部に配属となって
T部長直轄のもと、鍛えられた。
まだ、DTPをマックパワーがテストしはじめた当時で
DOS入稿とかしてて、大変だった。
で、企画書を毎日10枚書いて
破られてを続け(苦笑)
制作を手伝ったり、編集を手伝ったりしながら

基本、契約社員はフリーなんで
他の編集部にいっつも顔出して顔売って
マックパワーとか、ハイパーリブとか、ラップトップやら
ウインドウズマガジンで、ライターの仕事を取って
家に帰ったら、原稿書いてと。

マシンは、DOS/Vが出始めたくらいで
i386DXマシンで、40万とかいう時代。
マシンないと記事も書けないから
マシン鬼の72回ローンで買って(笑)
VZエディタで、原稿を書いてと。

で、1年必死に働いた後、労働条件等で、部長と喧嘩して退社。

フリーで食うかーって覚悟決めてたら
ひょんなことから、ソフマップ最高顧問のT氏から声がかかり
某広告代理店で、逢って
気づいたら、ソフマップ子会社の出版社で編集をすることに・・・。

こっからが真の地獄でしたよ・・・。

200ページ以上の雑誌を、相棒と二人とバイト1人で創るという・・・。
しかも、編集歴1年の人間が・・・。
しかも、DTPで・・・。

この経験があったから、どんな辛い現場でも
なんとも思わなくなりましたが
まぁ、すさまじい時代でした。

それは、また後日話します。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2005-06-19 01:26:15

自伝?~1~

テーマ:歴史

さて、なんでこんな人口8万の街に居るのか?
ちょいと書いてみようと思う。
自分で書かなきゃ、本になりそうにないし(笑)
そこまで有名になってないんで(涙)

まぁ、東京は新宿で産まれて育ったわけで
親子三代以上ずーっと東京なわけで
お袋恵比寿で、親父は渋谷。
まあ、戦争までは、お手伝いさんが何人も居た
すげー家だったらしいけど(ほんとか?)
戦争で没落して
ただの貧乏サラリーマン、昭和一桁親父。
口より先に手が出る、足が出る(笑)
教師も、体罰なんて当たり前の時代だから
ビニールテープ巻いた竹の棒で、頭殴られまくりで(笑)

まぁ、で、地元の公立中学にそのまま進学して
成績はトップだったけど、入ってすぐに
「おまえピアノやってんだって? これ聴いてコピっといて!」
って渡されたのが、
ディープパープルのマシンヘッド。
で、聴いてぶっ飛んで、バンド生活開始(笑)

ひたすらバンドしてました。

で、成績も落ちることなく、トップの方にいたんで
男女共学以外は、学校じゃねー! 人間の住む場所じゃねーって
本命は、某都立高校にして
滑り止めも、必死に男女共学や別学選んで
まぁ、全部受かったけど
都立にそのまま進んでと。
元女子校の都立だったから、もう天国で(笑)
私服だし。渋谷の隣にあるし(笑)

単位制だったから、出席日数ぎりぎり計算して
サボりまくって(笑)
でも、テストの成績良かったから、何も言われず。
高1の秋に複雑骨折→入院→心臓病勃発
で、人生終わるけど
それでも、唯一の校則が「自由」だったから
テストの成績できてれば、勉強したってことだからと
出席日数やばかったけど、97点とか取ってたから
無事卒業できて

で、代々木大学(笑)どこだよ?
の国立医学部コースに入って、まぁ医学部目指したけど
健康の理由で駄目になって
滑り止めで友達が勝手に願書くれて出した文系の某私立大学にだけ受かって
そこに行ったけど、完全に健康壊して入院。
出席日数足りずに、留年。
翌年復学するも、また途中で入院して、出席日数足りずに自主退学(笑)
もう1個、某有名大学入ったけど
専門学校の方が良かったから、そっち行った。
で、人工知能をひたすら勉強した。
一般教養なんて一切無く、すべての授業が目標に向かってリンクしてたから
最高に楽しい3年間だった。
3年間ってのは、2年で卒業後、大学院に相当する研究科ってのに
上がったから。

で、在学中から、アスキーウインドウズマガジンから
ライターやらないか? って声がかかって
ライターを始める。
初めて書いたのは、キッドピックスっていう名ペイントソフトのレビュー。
今でも覚えてる。

で、それから、学校行って、夜中原稿書いて

さらに、バイトしろって言われて
当時青山にあったアスキーへ学校終わる20時頃からバイトで出社。
終電までバイトして、その後帰って課題とライター業務。

一日3時間くらいかな。睡眠時間。

で、無事卒業して、内定も当時普通の会社行きたくなかったし
まいと~くってベストセラーパソコン通信ソフト出してた
会社に、高校のマブダチが先に入ってて
社風聴いてて、最高に気に入ってたので
新卒募集もしてないのに
勝手にアポ取って訪問して
論文だー、自分が書いた記事だー見せて
ひたすら、売り込んで

見事内定もらった。

で、就職先も決まったしって
のんびりライターしてたら
バブルはじけて、内定取り消し!

さぁ、困った・・・もう3月じゃん・・・

どうすんだよ?

って感じで、

僕の人生は、変わっていくのでした。。つづく。

いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。