
あ!でも見て!!真っ赤なTシャツに四字熟語が書いてある。
やっぱり『天下無敵』とか『夜露死苦』とか書いてあるんじゃ・・・?



23年前の私は、カルカッタで他力本願Tシャツを着てお手玉(ジャグリング)で平和に遊んでましたわ。
さて、小田急小田原線から更に江ノ島線に乗り換えてハナさんの駅に到着すると、改札で待ってくれてた。
わ~~~い久し振り~~~!!
会う前に「老けたからそのちゃんに幻滅されないか心配。」みたいなことを言ってたけど、お互い様だから
会うのは10数年ぶりだもん。
ハナさんは相変わらずちっちゃくて可愛くて昔の雰囲気のまま
ハナさんのお家に着いてからはとにかく喋って喋って喋って喋りまくり。
23年前の話や、その後東京で会った時の話、旅の話、仕事の話、福祉の話・・・
ハナさんは福祉の道に進んでから、いつ聞いても「そんなに働いて大丈夫?」って言うくらい、
本業の他にもボランティアをしたりしていて、本当に休む暇なく人の為に働いて来た人。
今まで20数年休みなく働き続けて来たから、今年少し早めに退職して日本一周するって言う話は前に聞いていた。
普通に電車やバスに乗って旅するのかと思っていたら、自転車で一周だって!!59歳よ!!??
全然イメージがなかったんだけど、今までも長年1時間以上掛けて自転車通勤をして来たんだって。
あの華奢な体のどこにそんなパワーが!!
すご~~~~~~~~~~~~~~。
やっぱハナさんはすごいわ。
初めて聞いたボランティアの話も。
私がマザーハウスでボランティアを始めたのは2000年で、
路上生活者の怪我の手当てをする看護師のボランティアの人に、
「包帯を外したらウジ虫がうわっ!と出て来る。」って話を聞いただけでも十分ビビってた。
でも、ハナさんから聞いた話は比較にならないくらい衝撃的だった
(グロテスクな話になるので苦手な人は注意)
1994年にハナさんがボランティアに行った時、一緒に行ったお友達が看護師だったこともあって、
シスターから特別なボランティアを任されたそう。
2週間派遣された先はハンセン病患者の施設で、宿もないためシスターの宿舎に泊まり、
水道もなく瓶から水を汲んで生活したそう。
そこで任されたのは、何と、
ハンセン病患者の壊死してしまった手足を切断する手術の際に、暴れないように押さえるボランティアだったそう。
手術が行われるのは二週間に一度で、その日は20人以上の手術が一日中行われて、
医師がのこぎりでギーコギーコと骨を切っているのを横で見ながら押さえていたそう。
医者は呑気なもんで、ポップソングを掛けながら手術をして、
切った手足を「Do you want to eat?」って見せて来て、
「No~~!!」って言うと、
「Oh, are you vegetarian?」って冗談を言って来たらしい
いやいや、ぜんっぜん笑えないし。インドだな~~~
私がもしこのボランティアをしろと言われたら、100%無理
現地でこの話を聞いたことは一度もなかったから、もうさせていなかったか、本当に一部の人に任されていたかだね。
この施設には世界中から薬の寄付が届いていて、周辺の村からもたくさんの人が貰いに来ていたそう。
診察券を作るのもボランティアの仕事の一つで、薬の入っていた段ボールを四角く切って、
名前、年齢、薬の名前を書きこんで診察券を作ったんだって。エコだね~。
文字が読めない村人も多かったけど、家族で何枚もの診察券を持っていても段ボールに柄が入っていたから、
裏の柄を見てどれが自分の診察券か見分けることが出来たそう。なるほど~。
ハンセン病の施設では、患者さんをケアする人が足りていなかったから、
車いすに乗った足のない患者さんを、足はあるけど目が見えなくて一人では歩けない患者さんが押して、
協力し合って散歩していた話とかも聞いて、へぇお~~ほぉ~~~って感心しっぱなしだった。
「そろそろご飯の準備しよっか。餃子一緒に包んで~。」とハナさん。
「私が餃子が大好きだから餃子にしてくれたの?」って聞くと、そうではなかったみたいだけど(笑)、
「でも、そのちゃんがお母さんの作る餃子が大好きって言ってたのは覚えてる。」って。
ぺちゃくちゃ喋りながら50個の餃子を包み終わった。
カセットコンロでジュージュー焼いて、
出来上がり!!
いただきまーす!!餃子美味しい!!ハナさんはお料理もとっても上手なんだよ。
煮物もめっちゃ美味しくて、二人で食べる量じゃないよねと言いながらすんごい量を食べてしまった。
餃子はさすがに20数個しか食べてないよ。(それでも食べ過ぎ)
そして、その後もぺちゃくちゃ喋り、消灯。
「大丈夫だよ~」ってハナさんは言ってたけど、「いや私いびきかくらしいから絶対眠れないと思う!」って
別の部屋にお布団を敷いてもらって寝たよ。
いびきをかいたら録音してくれる睡眠アプリを最近使ってるんだけど、
この日は朝確認したら全然かいてなかったよかった。
翌朝もハナさんの美味しい朝食をお腹一杯いただいて、
チーズケーキとイチゴも食べて、
お散歩へ出かけた。いい天気
この辺りの団地には、ベトナム、カンボジア、中国、韓国、南米系の人々、中国残留孤児の人などなど
いろーーーーんな国籍の人が住んでるんだって。
だからルールも色んな言語で書かれてる。
以前、NHKの番組『ドキュメント72時間』で特集されたことがあって見たことがあったから、
「え?ここなの???見た~~!!」って大興奮。
面白いよね~~~。何語かもわかんないのもある。
お祭りの時は公園に多国籍の屋台が出て楽しいよ、って言ってた。それは楽しそうだ~
GYAO!でも見られるみたいだよ。(3月31日でサービス終了)
団地の中にあるお店も多国籍。
残留孤児の人たちが通う、中国語のデイサービスもあるんだって。
ベトナム料理屋さんや食材店も多い。
ここはカンボジア系かな?
これなんだろう?バニラ???
お店の人に聞いたら、果物に掛けるようなことを言っていたけどよくわかんない。
このベトナムのカレー粉かわいい!!
あ~面白かった。
もう昨日から食べ過ぎだしお昼ご飯は食べられないかな~と思っていたら、フルーツたっぷりヨーグルトを出してくれた
まさにこういうのが食べたかった!!
16時半ごろまでお邪魔して駅へ。
可愛いバスだな~。雑誌『ぴあ』の表紙のイラストを36年間描いていた人が大和市在住なんだって。
いよいよお別れの時間。
ハナさんをギューっとハグして、お礼を言って電車に乗った。
ハナさんと久し振りにたくさんお喋りをして、やっぱりハナさんは素敵な女性だなと思った
私もハナさんみたいに素敵に歳を取りたい。
日本一周気を付けてね!!
ハナさんがくれた沢木耕太郎の本、読むのが楽しみ
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