映画「ぼくたちの哲学教室」
2021年 アイルランド・イギリス・フランス・ベルギー・合作 102分
<監督>
ナーサ・ニ・キアナン 、
デクラン・マッグラ
<内容>
北アイルランド、ベルファストの男子小学校で実施されている哲学の授業を2年間にわたって記録したドキュメンタリー。
北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が繰り返されてきたベルファストの街には、現在も「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。
労働者階級の住宅街に闘争の傷跡が残るアードイン地区のホーリークロス男子小学校では「哲学」が主要科目となっており、「どんな意見にも価値がある」と話すケビン・マカリービー校長の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら自らの思考を整理し、言葉にしていく。
宗教的、政治的対立の記憶と分断が残るこの街で、哲学的思考と対話による問題解決を探るケビン校長の挑戦を追う。
アイルランドのドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンと、ベルファスト出身の映画編集者デクラン・マッグラが共同監督を務めた。
(映画COM)
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鑑賞後だいぶ経過してしまいましたが、やっとアップ。
9月9日ジャック&ベティにて鑑賞。
当日はこの作品の後「福田村事件」を続けて観たのです。
舞台はあの映画「ベルファスト」でも描かれた、北アイルランド紛争によるカトリックとプロテスタンとの長い対立紛争があった悲劇の場所。
子供たちの親も当然その歴史に直面している、また子供たちも過去の歴史を映像や親から伝えられて体験したりしている。
そんな地域にあるカトリック系の小学校が舞台。
エルビスプレスリーをこよなく愛する、スキンヘッドでけっこうマッチョな校長先生が自ら子供たちに直接教えるギリシャ哲学をベースにした哲学の授業がある。
またその授業以外にも、子供たち一人一人に情熱をもって向き合う。
子どもが起こしてしまった問題行動を問う、そこには正解はなくまた、時間をかけて子供たちと向き合い話をする。
指導者たちが一方的に教えるのではなく、逆に子供たちから教わることもある。
映画の中では、本当に小学生の考えかとビックリさせられるような意見があったりもします。、
ある授業で
「相手から殴られた時にはどうする?」
と問う校長。
生徒の一人は、
「父親が、やられたらやり返すことが大切だと教えられた」
と話す。
また
「やりかえさなければ弱いと思われ、ずっと虐められる」
と意見を言う生徒もいる。
逆に
「やり返せばまた暴力の連鎖になってしまうから、話し合うことが大切だ」
と、どこぞの国のトップに伝えたいほど大人も真っ青の考えを話す生徒もいたりする。
哲学を軸に先生と生徒たち、また生徒同士が
何故?
どうして?
相手の気持ちになったら?
自分はどうしたい?
などと問いに対して考え、そして成長していく子供たちの姿を描いている。
一触即発にいつなってもおかしくない環境に住んでいる子供たちには、その時に暴力で問題解決をしないようにするためでもあるのでした。
この映画を観ると、如何に対話が重要であるか、そして気に入らない相手に対して暴力をふるったり押さえつけることが如何にむなしく、未来につながらないことを感じる。
とにかくプレスリーをこよなく愛するマッチョな校長が、学校だけでなく各家に出向いたりする中で、子供たちをハグしたりハイタッチしたり彼らの声に真剣に耳を傾ける姿は感動する。
プレスリーが好きである曲を、常に流している。
それは彼自身がプレスリーを好きであると同時に、その曲に込められた意味も大きい。彼自身が怒りがこみあげてくるような時に、自分自身を落ち着かせる事にもつながっているのでした。
そんな校長の元に働いている他の教師たちも、やはり志を持っていることが感じられる学校。
こんな学校もあるんですね。
大人の責任はいかに重要かも知らしめる作品でもありました。
ここに住む親たちは、紛争を体験している。
当然敵対している者へ対する考えを、自分の子供たちに伝え教えることも多くなっているはず。
紛争があり、いまだに続いているベルファストにある街での出来事だけに説得力のある内容でした。
校長先生が生徒たちに話したある言葉
「この学校を卒業した生徒たちの中にはもうこの世にいない人が20名いる・・・」。
過去の過ちを繰り返さないためにも、個々が問題に直面したときに争いによる解決にならないよう尽力している意味が理解できる言葉でもありました。
地味なドキュメント映画ですが、非常に重要なメッセージが込められた見ごたえある作品でした。
5点満点中4,0
(画像すべてお借りしました)