昨晩は余程寒かったのか
朝の道路の雪は凍っていました。
ゴミ袋を集積場へ持って行く僅か二十メートル足らずを
突っかけを履いて、
おっかなびっくりのへっビリ腰で歩いて来ました。
年齢とともに運動神経と反射神経の衰えを感じます。
昨日の続きです
今でこそ時々は云ってる事が
チンプンカンプンの母ではあるが
子供も他人をも人を褒めることをしない、出来ない人である。
それも終戦後の中国大陸からの引揚、
何も無い処からの出発であり、
日曜日には能登からこの地へ父と二人で魚を担いでの行商で、
売れた分を日用品に替え、これを一週間かけて能登で売りさばく。
それは体力と気力だけの毎日だあったと思う。
私自身は中学の中ごろから高校の卒業時まで
親に叩かれて大きくなったようなものである。
所謂 思春期であり 異性を意識した学生服も校則違反ギリギリであり、
母の留守を見て自分で手直し、加工するのであった。
当然、上級生、他校の生徒同士の喧嘩もある。
いっぱしの不良学生の積もりである。
父親からは 「おまえは感化院へ入れる」 と云われ、
時々は両親から
「おまえは橋の下で拾ってきた」 とも云われ、
それが原因で親から叱られ、殴られるのかと悩んだ時期もある。
兄は所謂秀才の方であるから叱られもしない。
教育に熱心だった親たちからは
学校の試験時期には勉強をしないと云っては叱られ、
勉強をしているふりをして電気をつけたままで寝ていると叩かれ
真剣に悩んだものである。
でも要領が良いのかは自分でもわからないけれど
クラスでも、学年でも上位に居るせいか学校では
「喧嘩するなよ」
「弱いものをいじめるなよ」 だけで特別の問題もない。
必然的にクラスではリーダー格であり
色んな物事の相談もありその為には又、外へと出かけて行く。
これには親も首をかしげる様でもあったけれど
帰宅が遅いと云われ女の子と歩いていたと叱られて
友人宅の親からも 『出入り禁止』 を云われる日々でもあった。
私には叱られてばかりの青春時代であったけれど、
これが三男の弟となると、
私に叱り疲れたのか全く何も言わない。
そんな事を見ていると
『本当に橋の下で拾われて来たに違いない』
そんなことで外へ出ると気持ちがまたハジケテしまったのもある。
が今はそんな事を恨む積もりもなく、その青い春の時代がただ懐かしいだけである。
今の母からは全く想像も出来ない精神的にも肉体的にも強い母親であった。
そんな躾と勉学に厳しい母ではあるが
私が地元の公立大学に入ると何をしても小言も云わず、
朝帰りをしても、酒を飲んでフラフラになって帰っても何も言わない。
兄への送金の苦しい家計の中から
ダンスに行くのだったらとブレザーを買ってくれたり、
パーティ用に父の洋服ダンスから
ネクタイを探してきて呉れたりそれはそれで大事にしてくれたのである。
そして母は高校の時より大学の方が授業料が安くなったと笑っていた。
それは凄く明るい笑い声であり、
過去の全てを忘れさせる懐かしい笑い声でもあった。
続く
そんなこんなの青春時代、学生時代でした。
いじめの無い時代でもありました。
所謂 不良の道からギリギリで外へこぼれる事もなく、
内側へこぼれてしまいました。
それでも多くの先輩やら級友に恵まれ、教師の方から可愛がられ
人並みにアルバイトにも事欠くこともなく、
授業料の使いこみも一度だけで終わりました。
学生時代には遊ぶお金が僅か足りず、当時交際していた妻からの資金援助もありました。
妻が妻の母から頂いた珊瑚の帯止めも質草となって出入りしましたが
最後は流れて行ってしまいました。
何とかこれだけは返したいと思っていますが
この時代に帯止めが必要なのか分かりません。
妻もゆっくり布団の中で眠っています。
明日も運転には気をつけて穏やかな良い一日でありますように