時代、世代で、法令も変われば、世相も変われば、価値観も変われば、生活も変われば、教育も何もかも、特に変化が大きいのが昨今なのだろう。

 映画だとかドラマなどでも、ちょっと前のモノでも、当時の…を尊重して…、というようなテロップが流れることしばしば。

 傷だらけの天使、探偵物語、刑事物語等々、今では放送禁止になっているのではと思ってしまう。

 10歳の時に観た、在日コリアンの炭鉱での日常を描いた映画「にあんちゃん」は、ちょっと前まで在日朝鮮人となっていたと思うが、自分たちと何も変わらない日常なのに、何で映画になっているのか分からなかった。

 当時は、中央と辺境では、それほどモノのとらえ方、感じ方が大きく異なっていたのだろう。

 その映画「にあんちゃん」がNHKで流れなくなって、何年が経ったであろうか。

 きっと、現在には全くそぐわないというか、違い過ぎて理解ができないということなのだろう。

 安保闘争、学校封鎖などの学生運動に参加した世代は70代以上となり、バブルを謳歌した世代は既に60代になり、金妻から40年、就職氷河時代といってた世代は40代も後半?ガングロ、コギャルにしたってもう40歳?、コンプライアンスが厳しくなったのもその頃、スマホが出てSNSが流行ってもう15年、失われた10年はもう30年を過ぎ、トランプが大統領になって◯◯ファーストが流行ってもう7年、新型コロナで右往左往し始めてからもう4年、安倍首相が銃撃されなくなってから1年半、…。

 自分たちみたいに長いこと生きていれば、少しはその当時のレベルで物事の判断ができるのだろうが、今の若者は特に歴史に興味はないし、当時ではなく今のレベルで物事を考え判断してしまう。

 それってある面極めて恐ろしいことだ。

 今時の子は偉人なんて知らないし、歴史なんて関係ないし、難しいことは避けて通るし、自分が好きな極めて小さな世界でしか生きようとしていないのだから、そのうちスマホ(AI(人工知能))に洗脳されていくのだろう。

 いやもうそれは始まっている。

 高齢化とかのレベルではなく、短時間のうちに何もかも変わってしまい、狭い世代間でさえコミュニケーションが困難になっているのだ。

 そのうち高齢者は、存在さえも忘れ去られる時代というか、消し去られることになるのかな?

 それ以上に恐ろしいのは、ちょっと前の善人でも悪人と評価され抹殺され消し去られる時代だということかな。