「社会がどれだけ変化しようと人間は同じような状態で生まれてくる。人間として生きる基本的な力と潜在能力は持っているが、いわばゼロからの出発である。それは、昔からほとんど変わっていない。しかし、社会は大きく変化している。急激な社会の変化の中で、子供たちは人間として成長していかなければならない。人間として成長するとは、人間らしさを身につけていくことであり、その根本に心がある。変動の激しい社会においては、人間らしい心が育ちにくいといわれる。それはまさに人類の危機とあると言ってよい。」(道徳教育の理念と実践、押谷由夫著、昭和女子大学大学院教授、2.道徳教育とは何か(2)理論的考察より) 

 

「道徳教育とは何か」という命題を、聖書や論語、或いは古今東西の哲学書の中で道徳をとらえながら共に考えていきたいと思います。私も還暦を過ぎ、人生を締めくくらなければならないことを考えた時に、どんな時でも手元において、何度も読み返していた卒業論文なのです。私は日本大学文理学部独文科を卒業しました。1970年代、丁度、左翼の学生運動も下火になり、三無主義、無気力、無関心、無責任、更に加えて、無感動の四無主義のしらけ世代でした。そんな空気の中で、はっきりとした生き方を求めて試行錯誤していたときであり、青春の焦りを感じながら、活路を学問に求め、がむしゃらに挑戦していたときに、大学4年間で結論を出すために、取り組んだ「卒業論文」でありました。私にとって人生を左右するものであり、結論を出す内容でした。私が選んだのは、言語学、ドイツ言語学者であった紅露文平という方の言語学を学んでから始まりました。

 

 

卒業論文の題名は、Die Sprache und Der Geist 」(ことばと魂・心・精神)でありました。言語を宗教、哲学、科学の各々の視点から考察し、言語の獲得形成、簡単に言えば、心―考え―言葉―行動という関係性を中心に、宿命として生命が誕生する環境(例えば、日本において誕生するなら、日本語という言葉と文字を習得し、文化と歴史の中で教育を受ける。そこに市民・国民という人間の人格が形成される。)が与えられます。人間を越えた存在が与える宿命によって背負う宿命(善の遺産なのか負の遺産なのか)が変わりますが、40年たった今、この続きを整理しなければならないと思った次第です。結論が、人が人である姿となる「道徳」の規準が、成熟しているのかいないのか、戦後の道徳教育の変遷の中で、60年ぶりに教科化、検定道徳教科書を採択するという時代を迎え、私も生きているときに検証したいと思いました。

 

 

前置きはこれまでとして、道徳のアプローチ(1)として、西洋の教育思想から人類の教師として、ソクラテス(前470-399)を取り上げたいと思います。ただ、私が述べるものは、ソクラテスの業績の定説ではなく番外編です。ソクラテスは、「若い時は従来の自然学を学んだが、自己の心の中に霊的なもの(daimonion)の声(それは積極的に何事かをなせとすすめるものでなく、ただ、悪いことをしょうとするときにそれを止めるものであったという)を聞くという宗教的傾向を持っていた彼は自然学的研究によっては満足しえず、自然学的に把握することのできない人間の魂というものにその関心を注ぐようになった。」「ところが今やソクラテスが人間を魂として把握したとき、その魂とはもはやこのような外的なものではなく、人間の心の中に存するもの」「ここで言う魂とは人間をして人間たらしめるところのもの、現代の言葉で言うならば人間の人格性とも言うべきものである。」(西洋哲学史、有斐閣、岩崎武雄著、1975年出版)とありますように、少年ソクラテスは、悪いことをしようとするときにそれを止めようとする声、良心の声を聴いて、人間の人格性を悟ったと考えます。現代のわれわれは良心の呵責とか言いますが、すでに人間の心の研究をソクラテスは始めておりました。

 

 

もう一つ、ソクラテスがいた当時の場所、ギリシャ最古の神託所、デルフィの神殿には、ある格言が3つ書かれていました。その一つに、「汝自身を知れ」でした。しかし、これは、上の句で、下の句がありました。「さすれば、神と宇宙の謎を知る。」という内容でした。つなげてみると、「汝自身を知れ、さすれば、神と宇宙の謎を知る。」です。学校の教科書で学ぶものは、「汝自身を知れ」というのが有名ですが、人間の内面を深く掘り下げていくと、心には、本心と邪心があるが、なぜ、二つの心が葛藤するようになったのか。この始源は何か?これがわかったら、神と宇宙の謎が解るということでした。この問題の解答として、次回の道徳へのアプローチ(2)で、ご紹介いたします。よろしくお願いいたします。(矢吹恭一)

 

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