長女が生まれた当時、予防接種はBCGと麻疹とポリオと3種混合が
確か無料だった。
無料というか、母子手帳に問診表とかがついていて、お金を支払う
必要がないという行政サービス。行政サービスだと言葉が違うな・・・
国の?市町村の?とにかく「助成」されていて個人としては支払う
必要がないという事。
で、長女がちょうど麻疹の予防接種を受ける時期に麻疹のワクチンが
風疹との2種混合ワクチンになった。もちろん変わらず無料で受けられた。
ふと「このワクチンは大丈夫なのだろうか?」と思った。
というのは、今までは麻疹も風疹も単体ワクチンだった。それが混合に
なった。何年も前から問題なく接種されている・・・という「今まで大丈夫
だった」という漠然とした安心感もない。
もともと予防接種などは「調べて」「考えて」「選んで」を基本姿勢にして
いたから、国が勧めているとか、無料だからとか、そういうのは関係ない
と思っているけれど、それでも新しいワクチンは色々と気になった。
長女が4歳くらいの時だったか?
ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンが認可されて接種できるようになった。
そのときはまだ認可されただけで、助成もなく希望者が自費で接種する
という仕組みだった。
何度か接種しなくては抗体ができないようで、全て満たすとけっこう高額
な予防接種だった。
で、何がわかったかというと、この時、ちょうど接種の対象年齢のお母さん
たちは「このワクチンは必要かどうか?」をものすごく調べた。
だって高額でも必要なら我が子の為に接種したい。
それほど必要ないとか、副反応のリスクのほうが高いとか、そういうことも
調べて天秤にかけて「我が家はこうしよう」と決める人が多くいた。
「接種したほうがいいのかな?」と迷った人たちは、とにかく色んな手段で
調べて考えて、その上で方針を決めた。
無料じゃないって、こういう事なんだよなと思った。
長男が産まれたちょうど同じ時期、このヒブワクチンと肺炎球菌ワクチンが
無料接種できる事になった。
とたんに、「このワクチンについてどう思う?」とか「必要かな?」とかそういう
話題がなくなった。
無料接種(「国が推奨しているから赤ちゃんに必要だよね~」みたいな感じ)が
増えて、スケジュール組むのが大変だね~という話題ばかりになった。
でもって、とにかくワクチンの種類と接種回数が増えたので、同時接種
しないと間に合わなくなって、ワクチンの同時接種が当たり前になってきた。
長女の時はそのワクチンさえなかった(承認されていなかった)。
承認されたとき、長女はすでに4歳を過ぎていて、5歳過ぎると罹患する
リスクが激減するから接種の必要がないと言われた。
長男の時はワクチンの接種が推奨されていて(無料だし)、テレビのCMでも
赤ちゃんとお母さんの映像で「君の命を守りたいから、2ヶ月を過ぎたら
予防接種を」とかいうのが流れていた。ものすごいイメージ戦略。
そのCMを見るたびに、私は胸が痛んだ。
私も小さなふにゃふにゃのこの子が大事、この子を守りたいと思っていた。
でも予防接種は迷っていた。いけないお母さんかしら・・・と。
無料接種の上に、テレビのCMで接種を勧める。
どれだけ、このワクチンにはお金が注ぎ込まれているのだろう・・・?
無料接種という事はそこには税金が使われている。ワクチン代、医師の手技料?
何にしても接種した人は支払いがないにしてもお金は必ず動いている。
テレビのCMだって、お金をかけてでも「子どもたちのために接種の必要性を知って!」
という良心的なものなんだろうか?
ワクチンは子どもの身体に直接投入する。
子どもが食べるもの、飲むもの、触れるもの、そのどれをとっても、
この小さな人にとって大丈夫なものなんだろうか?この小さな人にとって
負担にならないだろうか?などと考えて与えるはずなのに、ワクチンは
そういう話をあまり聞かない。一部、こだわりがある人や、いわゆる「自然派」
という人たちは考えて選択して我が家の方針を決めているけど、ごく少数。
直接投入するものなのに、気にならないのかしら?
お金がかかるとなると、以前のようにみんな色々考えるのかな?
というか、やっぱり「お金」とか「無料」が何事も判断基準になるというか
それによって調べる事や考える事をせずに済むようになっている気がする。
学校教育もそうなんだよね・・・
教科書は無料配布。
義務教育だから当たり前と言われそうだけど、もしも「自費で購入してください」
となったら「こんな薄っぺらくてこの価格?」とか「こんな内容で?」とか「カラー
ページが多すぎだからもっと節約できるんじゃない?」とか、とにかく目を通して
子どもが学ぶものを判断すると思うのだけど。
無料で一方的に配布されて、その内容で子どもたちは「学んで」「吸収」していく。
これって、一種の洗脳教育にも繋がるのではないか?と思うのは、世の中を
斜めに見すぎかな?
じゃぁ、あなたは配布される教科書を吟味して、選んでいるのか?
と聞かれたら、今の状況ではやっぱり配布された教科書で子どもは学んでいるけど。
でも、いつでもそうやって「見る目」は持っていたいと意識はしている。
「無料」って、確かに有難い事なのだけど
(特にお財布事情が厳しいこの不景気では)
じつはそれによって「調べる事」も「考える事」も
「選択すること」もしなくて良くなって
私たちはそういう目や耳や思考を鍛える事が
できなくなることなんだ。
そうやって考える事や選択することをしなければ、
一方的に与えて洗脳しやすくなる。
無料は無料ではない。
どこかからお金が流れて使われている。
その出処、流れる先、そういう視点を持つと問題に気づけたりする。
行政の予算配分など、自分が関わる部分だけでも(子育て関連とか)知ると
その流れがわかってくる。わかってくると色んな無駄もわかってくるし、自分が
納税者なんだと意識できるようになる。納税しているのに、使い道に無関心
だと無駄使いされてもわからない。
追記:本当に必要な人にとっては「無料」はとても有難いと思います。
そこに「必要かしら?」と調べて・考えて・選ぶという事が大事だって
思います。