日々何かと忙しく、かつバタバタと過ごし、気がついたら…40年経った……のです。
若かりし頃自分で改造した当時のスポーツクーペB110サニークーペにて鈴鹿サーキットに走りに行って自分の整備したサニーがまるで走らなく、かつ遅い!ならばどうしたら早く走るのだろうと、試行錯誤の連続でした。
そして、自分の良い所でもあり、悪い所でもある1点集中型のこだわりと言うか?のめり込み度抜群が炸裂し、どうせなら最初からレーシング・カーとして生まれた本物のレースカー
フォーミュラーカーならば存分に早く走れるだろうし、自分の腕を見せつけてやると、更にのめり込んだ次第でした。
そうなれば当然ピュアなレーシングカーゆえお金がかかる!
専用タイヤもほしいし、練習走行時に時折壊してしまうカウルも変えたいし、お金はどんどん必要になる…と!単純バカな僕はただレース続行の為の資金捻出を考え開業する事にしたのでした。
その後は様々な出来事に出くわしたり、最初の頃は仕事が欲しい一心で何でもかんでも取り入れ、理不尽極まりないイザコザに巻き込まれたり、全国的な大ニュースになった猟銃強盗の被害に遭ったり、サギ師に騙され愛知県まで拉致されたりと、さんざんな目にあい、まるで一冊の本を出版できるほどの出来事がありました。
こうしてそれらを、羅列したら恥ずかしいやら、バカらしいやらですが、僕があゆんだ40年を書き記します。
誠に公私ともども恥ずかしい事多々ですが、一笑にて御覧頂けましたら幸いです。
・昭和56年10月(1981年)
自動車鈑金業として開業
当時の目的は、以前から鈴鹿サーキットでのフォーミラーリブレ・レースの資金稼ぎ、更に生まれて来る自分の初の子供の為と蜂起した次第、実は誠に不謹慎きわまりない目標でした。
・昭和57年秋頃(1982年)
鈴鹿サーキットにてポルシェのストレートを行く速さと音に驚愕!これは一体何だ、そして何でこんなに簡素なのに速い?と驚き、これが自分の人生を大きく変えて行く車との出会いとなる。
・昭和58年(1983年)
仕事には受けた責任が有り、そして必ず納期が有る!!よって鈴鹿にうつつを抜かしている場合では無い!!今の自分に出来ること、この地域の若者のたちのモータースポーツに援助しようと、頭を切り替える。
今出入りしているお客様の情報から小松市にチームベンケイや、ジムカーナー、ラリーと情熱を注いでいる若者達が数多くいること、そしてその人たちに今まで自分が身につけた整備の技能を捧げることに力を入れる。
ラリーカーに改造、製作等
・昭和60年(1985年)
レースをきっぱり諦める為に公道を堂々と走れるレーシングマシーン!ポルシェ911を家内のお許しが出てついに購入する
全国的な大事件に巻き込まれる
・昭和61年(1986年)
輸入車の素晴らしさに心を完全に奪われ、輸入車に力を入れる。
その当時、オークション等はほとんど無く、もっぱら関西や愛知のショップから買い付けお客様にデリバリーする。
カーグラフィックTVにて放映され当時の西ドイツ取材のポルシェ特集の番組を繰り返し見ている内にふつふつと生まれ故郷をどうしても見てみたい!どんな環境でどのように走っているのかを知りたくて、人生初めての海外旅行!!西ドイツへ行くことにする。
その当時背中を押してくれたのが何と!?ポルシェ輸入元ミツワ自動車!!
事の経緯はおそるおそるミツワ自動車本社へ電話をして、『ポルシェ本社を見学したいのですが』と言ったところ、『そうですか、分かりました、いつ頃行かれますか?』との返事をもらい、一気に現実化したのでした。
そして何と何と!ミツワ自動車から招待状が届き、もう引くに引けません。行くぞ!!と
そしてフランクフルト空港にてレンタカーを借りてこれまた人生初のあのアウトバーンを一路シュトゥットガルト目指しひた走りました。
何と美しい街並み…そして道路が実に走りやすいしマナーも良い国、
あのポルシェはここから生まれたのだ。
ドイツの理づめの精神はこんな環境から生まれたのだ!と心酔する。
この経験がポルシェに対しての愛情と情熱に更に油を注ぐ事となりました。
再び詐欺事件に巻き込まれ何とか解決!
・昭和63年(1988年)
仙台で行われたフォルクスワーゲンミーティングに参加する。
そして、あのミツワ主催のポルシェミーティングに愛車ポルシェで、谷田部高速試験場へ参加する。
この年、ヤナセ全国販売コンクールにて全国トップ賞をもらう。
・昭和64年(1989年)
フォルクスワーゲンミーティングに感銘を受け、今現在のお客様にも他とは違う車に乗っている喜びを得てもらいたく、自分自身でツーリングを企画・開催する(富山県白川郷へ)
ヤナセ全国販売コンクールにて敢闘賞受賞。
・平成2年(1990年)
お客様より輸入車の注文も多くなり更に、細やかなオーダーにも対応する為に東京都にて毎週開催されている外国車オークションに加入する。広大な会場は正に!宝の山である!
それら宝の山に魅了され、ほぼ毎週東京へ通うことになる。
・平成4年(1992年)
石川国体の為前の道路のかさ上げ工事が始まる。そして、目の前の田んぼに巨大な立橋が工事に入る。それにともないとなりの倉庫が立ち退きとなり、その場所(三角地革)を買わざることとなり、運命の流れと受け止め思い切ってとなりの地面を買うことにし、新たな社屋を建てると決意する。(テーマはポルシェの棲む家!)
・平成7年(1995年)
長年信じて憧れ続けてきたポルシェ
ある日知ったニュース!あの911が水冷化される!?とか!
スタイルは?今現在ヴァイザッハではすでにテストカーが疾走しているとか……
ポルシェ社の生き残りをかけた大勝負とは分かっているもののショックであった。
・平成10年(1998年)
新型911デビュー タイプ996とか…
基本レイアウトは同じようなものの、サッシの無いドアに、そしてあのフロッグアイが流れるような?涙目のような?ものに変更されている!
社運をかけてか、生き残りをかけて新型ボクスターと呼ばれるオープンシーターと共有するプラットフォームを使用するタイプ996、認めればならないのだろうけど
今の自分にはやはりショックしか無く、うらぎられたような気がして……怒りに似た悲しみが込み上げる。
それで、今まで鬼門?として扱うことの無かったFerrariを扱ってみる事にする。
・平成11年(1999年)
おっかなびっくりでFerrariF355を仕入れてみる。ポルシェ一本よりヨーロッパの両雄を扱うショップとして勝負してみるのも今後を考えれば将来性も生まれて来る!!とサービスの技術に期待する。