2016年の9月。北海道中札内にある小泉淳作美術館をたずねた。美術館はお菓子の六花亭が運営する中札内美術村にあり、中札内は帯広の南である。
柏の森の中に美術館はある。木道をすすむと美術館が見えてきた。
ここに来たのは2回目である。2011年にきたことがあり、その時に画家は存命だったが今は亡くなっている。
入場料は500円だが、JAFの割引がきいて400円となった。入場券は画家のタケノコの絵葉書なのが洒落ている。
小泉淳作は53歳まで無名だった日本画家だ。デザインの仕事で生計をたて、売れない絵を芸術的な欲求で書き続けた人である。その後はめざましい活躍をしていて、鎌倉の建長寺と京都の建仁寺に龍の天井絵をかいている。これは京都の建仁寺の法堂の天井にかかれた絵の下絵である。
作風はデザインの仕事をしていたからか、デフォルメと省略の手法と、
細密緻密にかきこむものの併用だ。執拗に描き込んだ作品は見ていて息苦しくなるほど重苦しい。
2016年には館内に画家のことばが展示してあった。
2011年の画像。
画家の製作姿勢と考えかたがつたわってくる。
画家は注目されるようになってからもどこのグループにも属さなかったから、孤高の画家と呼ばれる。53歳まで仕事をしながら認められない絵をかいてきた作家は、通俗的な交流など無意味だと思うのだろう。その時間を製作にあてたほうがよいと考えたようだ。
東大寺の襖絵もかいている。これはレプリカ。
蓮の大作の製作風景。
たくわえた自分の力のあらんかぎりを製作中の作品にそそぎこみ、自らが納得するまで描き込むのをやめないので、精神性がたかく、真摯でひたむきな絵が完成する。
桓武天皇だっただろうか。歴史上の人物画。2011年。
絵を描き込んでゆくのは作品を深めてゆくことなのだろう。面積のかぎられたキャンバスの上にかさねてゆくあらんかぎりの力は、作品に品格と陰影と、作者そのものの姿を投影するのだと思う。
画家は国会議員の七男として生まれたが、父親は豪快な人物で、兄弟のほとんどの母親がちがうという家庭に育っている。5歳で母を亡くし、13歳で父が他界している。
2011年頃に日経新聞に掲載された、画家の書いた『私の履歴書』を読んで画家のことを知った。その後、十勝の中札内にある画家の個人美術館をたずねたのである。
展示してある作品を鑑賞したところで、NHKの日曜美術館の録画がながされているのを見ることにした。京都の建仁寺の法堂の天井絵を制作する過程を追ったドキュメントである。
杖のようなものの先に筆をとりつけた自作の道具で天井絵をかいている。
天井絵は巨大なものなので、製作場所をさがすのがたいへんだ。六花亭の協力で中札内村の廃校の体育館がつかえることになり、そこでの製作風景が撮影されていた。
水墨画の天井絵は面積がひろいのでどうしてもむらができてしまう。その色むらを修正するために、点描の手法で延々と、自分が納得するまで巨大な作品を手直ししたそうだ。
ドキュメントを見た後でもう一度作品をみつめた。画家のことばも読んでゆく。
楽しいもの。わかりやすいもの。軽薄なものが世の中では人気だが、深遠なもの、抱えきれない深刻なものも求められている。
美術館では画家のエッセイ集を売っていた。欲しいが3500円もする。帰ってから古本をさがしてみることにしたが、アマゾンで良品を1185円で手に入れることができた。
2016年の3月にはゆきたかった、京都の祇園にある建仁寺をたずねた。
法堂の須弥壇にはご本尊の釈迦如来坐像がまつられている。この上に天井画はあるのだ。
念願の双龍図をみることができた。天井画は何枚もの紙をつかってかかれている。1枚1枚の紙を表具師が表装して、天井に張ってゆくが、その作業のあいだも画家は絵の修正をつづけたそうだ。一度完成したと自身で決めた後のことである。最後までよりよいものへ作り上げねばならない性分なのだろう。
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