宗教と日常と伝統と | よろず話屋

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通常、人は日常というそれぞれの日々の当たり前で生きている。

そこに生まれた国や地域や場所で、かつて統合されていたものが過去から今に伝わっており、それを受け入れる時期が早いほど、受け入れた期間が長いほど、それも日常に含めて生きている。

そこには宗教もあるが、宗教にもユダヤ教やキリスト教やイスラム教、仏教やヒンズー教やそれ以外にも多数ある古くからの宗教がある。

ざっくりとその定義を500年まえ、1000年前、1500年前なのどのように区切ることもできよう。

その区切りに妥当な根拠があるかどうかは別にして。

 

そうして宗教には宗教の現代版、”新興宗教”というジャンルがある。

ここ200~100年、あるいは昨日できた宗教も含めた、新しい、若い宗教のことだ。

 

日本では宗教の定義があったかどうか(神仏という言葉で片付けていたのではないか?)定かでない江戸時代から、宗教を意識したことが確実な明治維新後、そうしてこの姿を大きく変えた先の大戦の敗戦後の戦後日本という時代の区切りが、日本の宗教の変遷として区切られる時代である。

 

・・・・・・・で、ある、あるの。

 

これを否定されたらもう話はかみ合わない。

あうわけがない。

 

恐らく、僕がこういうまで宗教は宗教、キリスト教も旧統一教会も、あるいは存在すらしられていないここ数年前にでも生まれた宗教団体も”おなじもの”として認識してるだろう。

 

すげーな、そいつら・・・・・。

いるだろうけど、いわれて気づいたのも含めて。

 

とにかく区別が大事だ。

どう区別するのかという区別の正確性だな。

これがないのがどーだこーだといっても、その内容に公正な是正というものはない。

 

ないの、これもわからないのがいるか?

いるだろう、ふーーーーーー。

 

えーっと、どうしようか?

 

めんどくさいので自分の思うことだけ述べていくこととする。

僕の日常に宗教はない。

社会的もめごとや、自分が意識しない過去の宗教からの英知へのフィードバックされた常識とか、そういう認識上の宗教はあるが、生活上の宗教はない。

御祈りの義務や戒律への意識や神や仏の現世の影響を求める思考などという、生活上での宗教というものが存在しないという意味。

キリスト教から科学が生まれたといわれるが、ここが宗教と科学の分水嶺。

その後、政教分離という政治と宗教も切り離される思考とその仕組みも世に登場した。

政教分離、特に日本では日本人に有名なこの原理。

日本でよく知られる、知識として刷り込まれる常識、政教分離。

 

な、ここは日本です。

大丈夫ですか?うんこども。

 

これが気に入らないなら日本からでていくか、憲法や政令や法律を変えないと、あなたがまともといわれる存在にはならないです。

そもそも現状で、異常者ですから!お間違えなく!

 

多いけどな、異常者も。

それも日本の現実だが。

 

宗教を解散した例がオウム真理教以外にもあるらしい、2002年に霊感商法、もしくは霊感詐欺で組織的に行っていた証拠がでたらしい宗教団体が。

旧・統一教会もそうだが、2000年ごろには多くの霊感詐欺的宗教団体の話題が多かったので、旧・統一教会だけこの件で責めていないのが俺の過去記事を見てもわかるだろう。

ないからな、そういう記述が。

 

この時期に、かつてねずみ講を日本で展開し、その後同一人物と思われる人が円天、今でいう仮想通貨のような存在を展開した逮捕された人物と彼が生んだしくみについて、当時から抱いている、彼らを悪とした社会の空気が謎なわけだが、ここでは別の個人的な思いだ。

 

一緒にされていたような時代のことだからな・・・・という意味。

 

また同時に、そういう時代に大々的に宣伝された「大霊界」という、有名な俳優がはじめた霊界の社会的告知活動が起こっていたが、今思うと、そういう霊感詐欺被害と闘っていたのかな?と、今は無きその大俳優の存在を思い起こしているわけだ。

 

大霊界。

 

みんな、これを信じろ!

それで終わるんだろう、霊界の話は。

 

旧・統一教会と被害者、この被害者も当事者、関係者、直接・間接的被害というような、区切りがあるので一口にいえないが、これもひとくくりにされてる風潮にみえるし、旧・統一教会も、被害者とされる側からいいがかりをつけられているというものが”見える”のが現状だ。

 

いつも思うが、それは残念なことだ。

 

そうして、ここからまた被害者への誹謗中傷などというものが生まれ、その誹謗中傷からも罪人が生まれていく。

 

4000万を越える金額が間違えて振り込まれなければ罪人になることもなかったのに、振り込まれたばかりに罪人となる人、コロナ過や給付金制度がなければそれなりに生活し、罪人や悪の組織になることもなかった人や会社。

 

素材がいかに常態で悪であるかの自覚ない日本と日本人の、当たり前と常識と人格ということの証である。

 

そこに常に、被害者と加害者という存在があるだけである。

 

間違いのない真実だ。

 

その上で、裁きや罰をあたえるという社会があるだけである。

 

 

 

 

 

さて、当然のことも述べたし、つまり。

 

宗教?いらんな、そんなものは。