こんな記事を見た。

高校野球も変化の時代 夜間練習や上下関係見直す動き

こう言っては何だが、俺の中で"野球部"と言えば"前時代的"の象徴だ。

丸刈り
厳しい(理不尽な)上下関係
長時間の練習
連帯責任
しごき
体罰

そういうものが全て集まっているというイメージだ。

上の記事のオーサーコメントでも指摘されているが、部活動の風潮が、そっくりそのまま日本の会社の悪しき風習につながっているとも思っている。(悪しき風習が部活動に反映されているのかもしれないが)

そんな中で、この記事のように変わっていこうという機運が生まれているのはとてもいいことだと思う。

俺個人の意見だが、部活動と言うのは生徒が自主的に行うべきだと思う。事実上義務となっている風潮を改めるのはもちろんのこと、練習内容まで生徒が考えていいと思っている。

極端な話、監督だのコーチだのはいらない。ただ、安全面を注意するだけの顧問が1人いればそれでいい。

最近問題になっている、教師のブラック化もそれである程度緩和されるのではないだろうか?

ぜひこの変化を続けていってもらいたい。

しかし、そんな中で少し気になることがある。

栃木県立小山高校野球部の斎藤崇監督(46)のコメント。

「私たちの時代は、厳しさが強さだと信じられてきた。でも、今の子どもたちには合っていない」

なんでこんなコメントになるのだろう?

厳しさが強さにつながらないこと、

つまり、

トレーニングはただ長時間やればいいというものではないこと。
𠮟責よりも称賛の方が教育的効果が高いこと。
水分補給は危険なだけで「ばてる」などの通説は誤りだったこと。

これらは「今の子どもたち」特有のことではない。時代の変化とともに急に子供の体質が変わり、厳しさを受け付けられなくなったわけではない。

ただ、それらが誤りだったにもかかわらず、それに気づいてなかっただけだ。

それをなぜ認められないのだろう?

かつての前時代的な厳しさを受け継いでいる世代の人間が、このように時代のせいにしている限り、変化は極めて遅いのではないだろうかと心配になる。

「かつての考え方は間違っていた」

そう宣言できる大人が現れることを切に希望する。

ちょっといちゃもんに近い希望かもしれないが。

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