茂木健一郎氏のツイートが炎上している。参考記事

そう聞いて確認したところ、俺にとっては「ああ、あの話か」と見当がついたので、なにも変なところはないのだが、しかし、批判コメントの多いこと多いこと。

しかも、そのほとんどが的外れだ。

ふだんなら、ネット上によくある炎上騒ぎのうちのひとつなので、まあそんなに気にも留めないのだが、ちょっと不安になってきた。

というのも、茂木氏の考え方は俺が以前に紹介したエンリコ・フェルミのエピソードと同じだからだ。

茂木氏がこのエピソードを知っているかどうかはわからないが、おそらくこれと同じ発想があるものと思われる。

となると、「ひょっとして、このエピソードも誤解されてる?」という不安が湧いてきた。

そんなわけで、自分のためにもエンリコ・フェルミのためにもカール・セーガンのためにも、茂木氏のことを擁護せねばならない。

この話の本質は「勝率は2分の1」という問題ではない。

なぜこんな話をフェルミしたかというと、「だれそれは偉大な大将です」という発言、およびそこに根差した考え方の問題点を指摘するため。

そこにあったのは、「定量化されていない定義」と「統計の誤解」だ。(この件に関しては「トンデモ話検出キット」の記事を見てほしい

このふたつは、信頼できる主張をしたかったらぜったいにあってはいけないことだ。そして、それを指摘するためにフェルミは「戦闘に勝つかどうかは単に偶然の問題だとしましょう」という仮定を出したのだ。

つまり、ここでフェルミが言いたかったのは

「あなた方の言う偉大な大将は、理論上は偶然生まれ得ると言えますよ。そう言える以上、その人が必然的に生まれたとは言えませんよ」

ということ。

ここでわかってほしいのは

「5回の戦闘に勝ったのは偶然に決まっている」と断定していないこと。

ただ

「その可能性を否定できない」と言っただけ。

そして、可能性を否定できない以上、それを無視して結論を出すというのは、科学においてあってはならないことだ。

このように、「ある現象が起こったのは偶然か必然か」という確認は、科学の証明において必須だ。

「偶然ではありえない」

その証明を必ずしなければならない。残念ながら、フェルミと相対した将校たちは、それができなかった。

この点を下敷きにすれば、茂木氏のツイートは何もおかしくはない。彼なりに(というかだれがやっても同じだが)「偶然ではありえない」という証明をしただけだ。できれば、「過去から現在までもプロ棋士の総数」を載せてくれると完璧だった。

彼のやったことは、単なる科学的証明の初歩であって、なにも馬鹿げたところはない。

もしあったとすれば、それは科学自身が持つ愚直さであって、茂木健一郎氏個人の問題ではない。

「常識でわかるだろ!」
「普通に考えればわかるだろ!」

それが一般的な感覚かもしれないが、定量化されないまま、数値化されないまま議論や検証を行うのは科学ではありえない。トンデモ話検出キットでも「定量化しろ」と教えている。

そんな証明の基本的な部分を抜き出してツイートしただけで「とんでもないアホ」呼ばわりとは、あまりに彼が気の毒であり、不当だ。

ふだんから、棋士に限らずスポーツ選手でもなんでも、偉大な成績を上げた人を、「100年に一人の天才!」と、根拠不明の主張を毎年のようにわめいているにもかかわらず、茂木氏のツイートだけとんでもない愚かな発言であるとするのはなぜなのか?

それは

「茂木健一郎が言っているからダメ!」とか
「みんなが言っている言い方だったらいい!」とか
「自分が言っていることは良い!」

といった、差別、もしくは日和見主義、もしくは身びいきでしかない。

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