人を気遣い嘘をつく人は多い。

たいていそういう人は、その嘘をつくことを正しいと思っているようだ。

そして、その嘘は、聞いた側はきちんと見抜かなければならないと思っているようだ。

「こんなの明らかに嘘だってわかるじゃん。気を使ってるってわかるじゃん。ちゃんと見抜いてよ!見抜けなかったくせに、人を嘘つきみたいに言わないで!」

とこんな感じ。

「嫌い!と言ったけど実は好き」
とか
「今度食事行きましょうよ!って言ったけど実は行く気ない」
こんな感じ。

それをきちんと見抜け、と。

そういう人は、多分自分をわかってない。
自分が今までどんな嘘を言ってきたかわかってない。

当然俺もそうだが、人はいろいろな嘘をつく。

人の話す嘘には大体以下の通り。

・人を陥れ、自身が利益を得るための悪意ある嘘。
・人を陥れるつもりはないが、自分の身やメンツを守るための逃げの嘘。
・人を気遣い傷つけないようにするための優しい嘘
・いたずら心や茶目っ気による嘘
・正しいつもりで言っているけど実際には間違っていること。

まあこんなところではないか?

これだけの種類の嘘をついてきたにも関わらず、優しい嘘だけは的確に抜き出して嘘だと見抜けというのは無理がある。

人は優しい嘘をつくとき「自分は真実か優しい嘘しか言わない人間だ」と思っているんじゃないだろうか?

現実には実にさまざまな、そしてわがままな理由で嘘をついている。ついてきた。

その中から都合よく、優しい嘘だけ嘘だとちゃんと気付いて欲しいとは強欲が過ぎる。

まるで、何色も混ぜたインクから1色だけを分けて取り出せというような無理難題だ。

噓との付き合いは難しい。

他人と、そして何より自分とのたえざる葛藤だ。

俺自身、いつも悩み、迷い、その結果、間違った選択をした事もあったし、実は間違っていることもあったかもしれない。

人に向かってウソをつくな、とはとても言えない。(ちなみにここでは詳述しないが、嘘をつくこと自体はそう悪い事でもないと思っている)

だから、俺が心掛けていることは2つ。

嘘をついたら本気にされてもいいと覚悟をする。

可能なら撤回する。


これで、すべての人間関係がうまく行くとは限らないが、まあ、「誠実」と呼べる態度なのではないか?と思っている。

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