こんなツイートを見つけた

いわゆる“ゆとり世代”の悲痛な叫びと言ったところだろうか?

たしかに「これだからゆとりは」などと言って、ゆとり世代を非難する年寄りは多い。そして、そのような風潮があると感じる。

ちなみに、ここでいう“ゆとり世代”は特に2002年度から導入された指導要綱に基づいた教育を受けた世代というものとする。参考-Wikipedia「ゆとり教育」

なるほど。確かに、このころ導入された指導要綱は教育としてはよくないものだったのかもしれない。円周率を「3.14」ではなく「3」として教えるというのはかなり話題になった。

それによって育った子供は、確かに知的レベルが低いかもしれない。

この点については、俺もそう思っているということではなく、本記事では論点としないためにそれでいいものとしているだけなので、誤解なきよう。

しかし、それを認めても、俺はゆとり世代を非難する年寄りは理不尽だと思う。

なぜなら、

その教育制度を実施させたのはその年寄り連中だからだ。

日本人は、わかっていない人が多いようなので教えておくと、日本は民主主義である。

施政者は投票という民意によって決定される。

つまり、ゆとり教育を実施することを選んだ施政者を選んだのは、ほかならぬ年寄り連中だからだ。

ウィキによれば小渕内閣の時に発案されたようなので、この時選挙権を持っていたものは皆、ゆとり教育という政策に対して責任を持つ。

たとえ現実がどうであれ、民主主義下における政策は、民意によって選ばれた政治家によってきめられ民意によって実施される。

これが民主主義の原則である。政治家一人に責任を負わせられるものではない。

というわけで、1998年に20歳だったのは1977年以前に生まれたもの、現在40歳以上の人間は“ゆとり教育”という失政の加担者だ。

ゆとり世代はそのいわば“被害者”に過ぎない。

ゆとり世代は好き好んでその教育を選んだわけではない。大学のカリキュラムを選ぶように選んだわけではない。それ以外を選べなかっただけだ。

いや、選ばされたのだ。

今40歳以上の人間は“ゆとり世代”を見たとき、その子が無能だったとき、それが「ゆとり教育のせいだ」と思うのなら、

「なんて使えないやつなんだ。でも、この子をこんな子にしたのは、我々がおかしな教育制度を実施したせいなんだ。本当にごめんなさい。お詫びに今からわたしが全力で教育させていただきます!」

ぐらい思うべきではないだろうか?

あなたがた老害による教育を彼らが望むかどうかは別として。

追伸

ゆとり教育が実施された2002年でも民意によってやめさせることができていた、と考えるなら、当時有権者だった俺にも責任はある。
ただ、言い訳させてもらうなら、俺は上の通り、ゆとり世代を非難する気持ちはない。そして、当時の小泉内閣には投票してない。