ちょっと古い話になるが、今月初めごろ「保育園落ちた日本死ね」が流行語大賞トップテン入りを果たした。

そのことで、ちょっとした炎上騒ぎになったようだ。

つまり「死ね」という言葉がふさわしくない、ましてや「日本死ね」などと反日的だ、と。

タレントの春名風花さん通称「はるかぜちゃん」が以下のようなツイートをしていた。

リンクはこちら

これに同意する人、異論を唱える人さまざまのようだが、俺はちょっと異論がある。

要するに「良くない言葉が正当化される」というのがその趣旨のようだ。

しかし、こう考える人は、ちょっと過剰ではないだろうか?

なにがって、「流行」という言葉が持つ意味についてだ。

まるで「流行したら正しい」と認識しているかのようだ。

はっきり言ってしまうと、「流行」という言葉にそんな意味はない。

それは、「広く世に知られた」「一時的に多くの人の間で話題になった」というだけのことで、倫理的に正しいとか道徳的に許されるとか、まったくそんな意味はない。

ましてや、流行語大賞などにそんなことを決める権限もない。

それなのに、上のような発言をしてしまうのは、

「流行は正義」

という認識をしているからなのだろう。

ついでに、

「表彰は正義」

とでも思っているかもしれない。

流行語大賞がたたえたのはその、「話題になった」「知られた」という点のみであり、なにも「道徳的に正しく、どれだけ使っても素晴らしいどころかもっと使ってほしい」という意味などありはしない。

「この言葉は話題になりました」

それ以上でも以下でもない。

選考委員を務めた俵万智さんの言葉にもそれがあらわれているように見える。記事はこちら

もしはるかぜちゃんの言うことが正論だというのなら、過去に「O-157」がトップテン入りしたことがあったが、彼らは「流行語大賞に選ぶということは、O-157をはやらせていい、対策などしなくていいということを認めたということになるのですよ」とでもいうのだろうか?

まあ、冗談はさておき。

俺は、彼らの中にある「流行」という言葉に持っている過剰にポジティブなイメージのが問題である。

これでは、「流行ってる」ただそれだけを正義と思い、「流行ってる」ただそれだけで独裁的な政治家にたやすく一票を投じそうではないか。

もう少し、「流行」というものの価値を低く見てほしいものだ。

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