何度も記事に書いてきましたが、学童保育は保育です。放課後の集団生活の中で、学童期における社会性を育む。

10代以降、大人の発達障がいなどと言われ、生きづらい思いをなるべくしないで、自分に優しく、他人に優しい大人になってほしい。

自分を認め、他人を認め、自信を持って自分の人生を選択し、困った時は助けてと言える、自立し自律できる大人になってほしい。

そう強く願いながら、放課後児童支援員は日々子ども達と向き合っています。

願うことなら誰でも出来ます。

それらに向き合う技能が高いのが保育士です。

その技能が無いのが保育士ではない者です。

子ども達の目に見える姿、その言動に至る子ども自身の性質や家庭背景のアセスメント、発達の凸凹への介入、保護者対応。

頭ごなしに言わず、善悪を決めつけず、個々の気持ちに寄り添いながら、子どもと一緒に解決策を探す。

愛に飢える子どもの甘えを受け止める。

あなたには出来ますか?

保育を学ばぬ者には出来ないです。

筆者も勤めて数年経ちましたが、介入の難しさに悩むことは未だに多々あります。

今年度も春から違和感がずっとあって、なぜか、なぜだと考えていました。

そして気付きます。共に働く保育士がガッツリ保育をしている。ガッツリ療育をしている。

だから自分はついていけてないんだと。

いませんか?あなたの地域の放課後児童クラブや学童保育所に、ただ子どもを見ている大人。

いますか?きちんと学童期の子どもへの保育をしている保育士。


この現場の、彼ら保育士の頑張りと逆行するのが、賃金であり、待遇であり、国や自治体の学童保育に対する姿勢です。

現場負担ばかり増やすのに、誰も放課後児童支援員を助けてくれません。

誰もよりより学童保育に導いてくれません。

研修で学んだことを体現させてくれません。

必要な機関と連携させてくれません。

頑張ろうとすれば、「そこまですることない、他の放課後児童クラブではやってない」と言われ、これ以上頑張れない、子ども達の素行に困っている、発達支援センターに相談させてほしいと言えば、「支援員の力量不足」と言われる。

こんなことでいいんですか?

こんな風に言われる我々は、どうしたらよいのですか?


筆者は同僚の保育士に言います。

時給で働く有資格者が、学童保育という過酷な労働環境で心身のバランスを崩すことだけは避けたい。

目の前の子ども達を見ればレベル10で介入した方が良いけれど、それを週6日維持すれば、必ず支援員が潰れてしまう。

まずは有資格者がきちんと辛くない勤務体制をとるべきだ。

それによってレベル5の介入しか提供出来なくなって、無資格者の介入技術の低さで、子どもの誰かに何かが起きてしまったとしても、それが現実だ。

その現実を親も知るべきだ。

現場だけが頑張って、親に返す時に何事も無かったかのように返すのではなくて、子どもを見きれない現実をありのまま見せる。

結局組織の内側から学童保育の向上を訴えても聞く耳を持ってもらえない、実現してもらえないのだから、保護者が自分の子どもが置かれている現実に気付き、クレームという形でも自治体にいれてくれた方が、自治体は動く。

まずは有資格者が無理しないようにしてほしいと。

でも保育士は、首を立てに振りません。

それはそうですよ。発達障がいがあろうと無かろうと、目の前の子ども達が求めているものを、傷つき傷つけ合うのを、黙って見逃してただ見るなんて出来ません。

ならば、やるべきことは、保育士が目指す学童保育の理想、質の向上を実現する。それしかないんですよ。

まずは公立ならば、自治体の組織としてきちんと位置付ける。有資格者が必要と判断すれば、放課後児童クラブや学童保育所が直接学校や発達支援センターなどに連絡できる。

組織として認められていない状態から、組織として当たり前の業務が当たり前に出来るようにする。

運営に困ったら、各都道府県にある学童保育連絡協議会に相談できる。

公民問わず、他の放課後児童クラブや学童保育所と運営の仕方や介入方法についてディスカッションできる。

保護者や地域住民への学童保育とは何か、子育てとは何か、困った時どのような支援施策があるかを啓蒙する。

労働に対する真っ当な賃金をもらう。


私おかしなこと言ってますか?

なぜ学童保育の現場はこんなに冷遇されるのですか?

なぜ理想のあるものの理想を目指してはいけないのですか?