何らかの障がいをもつ子どもが保育園や幼稚園、学校などに通うにあたり、必ず様々な意見や現実的なハードルがありますよね。

最近はインクルーシブ保育、インクルーシブ教育などとも言われ、一見追い風のように感じるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。


以前の記事でも書きましたが、インクルーシブを実現するためには障がいのある者、ない者、支援される者、する者の相互理解あってこそです。

メリットもあればデメリットもあるということを各々が深く考え、それを具体的に想定しておく必要があります。


放課後児童クラブや学童保育所でも同じです。

健常児や定型発達児だけが障がい児や発達障がい児を許容する、優しくするというのは、インクルーシブでも何でもありません。

障がい児や発達障がい児だけが我慢したり、過度な制限を受けたり、生きづらくなるのも違います。

双方が理解し合い、折り合いをつけながら共に過ごすためには、子どもの場合は特に大人からの教育が必要となります。

つまりは保護者や支援者になる大人にどれほどの倫理観や道徳心、話し合う力があるかが問われます。

現場だけでなく、各家庭で理解を深め考えることも必要です。むしろこちらが大前提。

ただでさえ人間は、自分と違うものを排除することが本能的に刷り込まれている動物です。

それを越えて自分と違うものを認め受け入れることは全く簡単ではありません。教育を受ける機会がなければ乗り越えられないかもしれません。



学童保育の現場では、様々な発達段階、発達課題の子ども達がたくさんいます。

学年でいえば1年生から6年生ですが、知的な遅れや発達特性などで言動やルールを守る力、話し合う力、話を聞く力、相手の表情から気持ちを読み取る力などにおいて、実年齢に及ばない場合もあります。

子どもによっては狭い空間に多人数といる、ガヤガヤしている雑多な環境が苦手な場合もあります。

また発達の遅れがあろうとなかろうと、相性というのはあります。

定型発達児同士でも相性の良し悪しはあります。

定型発達と発達障がい児でとても仲良しということもあります。

発達障がい児同士自分達の遊びに没頭しているペアもいれば、常に一触即発なんてペアもいます。

相性が悪い相手と同じ空間にいなくてはいけないなんて、大人でも苦痛ですよね。

そりゃ部屋から出ていきたくもなりますし、皆と同じことをしたいなんて思えないし、ちょっとのことでムカッとイラッとする気持ちもわかりますよね。

加配がついていれば個別に対応可能かもしれませんが、人員不足でつかないことも多々あります。

学校では支援の先生がついてくれているのに、学童では誰もついてあげられないということもあります。

本当なら加配がついた方がいい子どもが何人もいる、なんてこともあります。

児童数が参酌すべき基準を超えていて放課後児童支援員数が不足している場合、その数が増えれば増えるほど制御できない場面が多くなるのは、納得していただけるのではないでしょうか。

子ども達をよく見ていられたら、何かが起きる前に介入して、主張を伝え合う、ルールを共有して一緒に遊ぶ、今は一緒にいないなどという選択を提案できるのに。

それを積み重ねられたら、自分の気持ちの伝え方が上手になったり、思いやりの心が芽生えたりできるのに。


現状の学童保育は、成育環境として悪すぎます。

せっかく幼児期に手厚い療育を受けて出来ることが増えてきたのに、療育を卒業してその後のフォローなく放課後児童クラブや学童保育所に預けられ、適切な介入がされないまま、再び困難感にぶち当たったり、混乱したりしている様を見ていると、本当にもったいないと感じます。

せっかく自分に自信が持てるように引き上げてもらったのに、学童保育では何も引き上げてあげられないのが、本当にもどかしく思います。

20分30分と気持ちの切り替えにかかる時間も、本来されるべき介入をしてもらえたら、少しずつその時間を短くしていけるのではないかとも思ったり。


ね、定型発達児と同じ空間にいたら良い刺激だなんて、簡単には言えないですよね。

本当に自分の子どもにとって、そこが居心地の良い場所になれているか、苦痛なコミュニティに子どもを入れていないか、しっかり確認することをおすすめします。