筆者が働き始めてまもなく、長年勤めていた支援員が辞めました。


その時に「子ども達の情報は引き継がない。先入観で保育してほしくない。」と言って、ノート一枚に子ども達の性格が2、3個書いているだけのものを残して去っていきました。


他地域の放課後児童クラブ職員も「事前情報はあるに越したことはないが、それが足かせになることもあるので、入所後の対応や関わりを重視しています。」と言いました。

ここにも保育と看護の違いを鮮明に感じました。

医療では患者の情報収集をとても大事にします。その情報を元に綿密にアセスメントし、患者の身体に何が起きていて何が想定されて、どんな医療が提供されて、どんな看護を提供するかを考えます。

しかし保育ではこれが通用したりしなかったり、定まっていないのです。

児童支援、子どもの権利という視点で見れば、情報収集、アセスメント、介入、他職種連携は当然の流れのはずです。

子どもがどんな家庭背景でどんな家庭保育をされてきたのか、どんなことが好きで嫌いで、どの発達段階にあって、どんな発達課題があるのか、病気や障がいの診断はされているのか、療育に通っていたのか、どんな療育どれほどのペースで受けてきたのか。保育園や幼稚園ではどんな様子だったか、保育士のアセスメントはどのようなものか。

親の保育力はどの程度か、虐待のリスクはないか、経済状況、親自身の特性など、収集すべき情報はたくさんあります。

これらをアセスメントし、児童への介入方法、親への介入方法、必要な支援へつなげるか、他機関と連携する必要性などを検討します。

ただ子どもを眺めていても子どものためになりませんからね。

支援にまでつなげる必要がなく、日常生活の中の関わり方をどうするか程度であったとしても、適切な保育を提供すると考えたら、やはり必要なプロセスだと思います。

保育所や幼稚園、学校では個別支援計画があるのですし。

声かけの仕方一つで、積み重ねられるかどうかで、子ども達の成長の方向性や程度は本当に変わります。

ここに目を瞑って何が保育なのかと、元医療従事者は思ってしまうわけです。

自治体の職員には見なくていいと言われますが、本来見るものなのではないのかと。



では、事前情報が足かせになるとはどういうことなのでしょうか。

それは支援員が先入観、つまりは決めつけ、色眼鏡で子ども達を見てしまうということです。

「あの子は意地悪だから」「あの子は発達障がいがあるから」「あの子は気が小さいから」

そうですね。良くないですよね。

でも、私は思います。

本当に、真にその分野のプロならば、そんな次元の低い見方はしないのだと。

だって医療従事者は、「あの人生活保護受けてるから」「あの人天涯孤独だから」「あの人認知症だから」という目線で医療提供しません。

保育だってそうですよね?

最初から意地悪する子が一方的に悪いという構図は作りませんよね。必ずその手段に至る背景があります。それぞれどんな子どもで、日頃の関係性はどうで、何が原因で、各々どんな意見や思いがあるのか、どんな声かけなら聞いてくれて、どんな解決策があるのか、よくよく子ども達の話を聞きながら考えます。

発達障がいも、グレーゾーンも、「そういう子」として見過ごすのではなくて、「そういう子」としてもしなくても、どんな特性があって、どんな声かけや介入なら友達と楽しく過ごせるか、どんな環境整備をすれば居心地よくいられるか、考えます。

結局アセスメントして介入するスキルが無い者が放課後児童支援員として子ども達を見るから、先入観や決めつけで乱暴な保育になるのです。

放課後児童支援員も補助も、職種としての質が高ければ、きちんとそれぞれの子どもに合わせた保育が出来るのです。

そのためには、1人の支援員がみる児童数など改善しなければならないことが沢山あることも合わせて書いておきます。

個人情報を正しく理解し、正しく使用する、それができるのだって、きちんと放課後児童支援員の役割や個人情報保護法などを学んで肝に銘じるからこそです。

放課後児童支援員はただ子どもを見ておくための一般人で良いわけがありません。専門職にならねばいけないのです。そのための資格であるはずですし。

そしてその専門職の社会的地位を下にしてはいけません。