基本的には、同じ方向を向いている支援員であれば人数に関わらず一致団結していけます。

しかし少ないことで出来ないことは必ずあります。

『提供できる保育サービス』に限りがあります。

想像してください。例えば児童15人をその日2人の支援員がみるとします。

学年の異なる児童、性格の異なる児童、発達障がいのある児童、グレーゾーンの児童に同じイベントを提供することはそもそも不可能です。

発達障がい児のことを考えれば、皆と同じことをさせる必要すら本来無い場合もあります。

学校の同学年の集団でも必要なら加配や支援がつきますが、支援員が少ない状態で加配をつけられない放課後児童クラブもあります。私の所がそうなのですけどね。

そういう集団で何が起きるかというと、支援員の統率力が落ちます。指示が通らない子ども達をまとめることは本当に難しいことです。

聞いて理解が難しい子にサポートに入る、多動の子どもに目を配ることが出来ません。

子ども達の遊びの幅も狭まってしまいます。

集団ゲームが出来ないのです。鬼ごっこすら統一ルールで最後まで遊べないのです。支援員が実施すること自体を諦めてしまいます。

近所の公園へ行くのがやっとなのです。いつも所在確認、人数把握で必死です。

おやつ作りも到底無理です。危険しかありません。人数を絞って順番に行えないかと考えてみても、手も目も足りなすぎます。

プール?万一溺れたら?救助できます?そもそも水泳もろくに出来ない支援員(私)が縦横無尽に遊ぶ15人のうち1人溺れているのを早期に発見できるでしょうか。ごめんなさい、自信無いです。救命処置は頑張れるかもしれませんが。

イベントによっては綿密な計画が必要で、到底子ども達をただ見ていればいい状態ではないですよね。

何度も書きますが、時給でやる仕事ではないですよね。現状の働き方で子ども達に向き合うことが無責任であるようにすら感じます。

このように支援員が少数であることは、直接子ども達の楽しみを減らしてしまうだけではありません。



『組織力の弱さ』

ただでさえ現場の声を聞いてもらえない放課後児童支援員の立場の弱さがありますが、それだけでは済まない問題があります。

立場の上から下まで、子ども達のために最善を尽くせる大人の組織ならば、質の向上を模索し続けられます。しかしそうでない場合、質を低下させる提案ばかりをしてきます。

支援員の数が少ないと、それに異議を申す力が不足します。そうすると立場を利用してねじ伏せてきます。

放課後児童クラブのあるべき姿を示しても理解しません。

あろうことか、参酌すべき基準を都合のよいように解釈して、現場負担だけをさらに重くします。

どう考えても回せないシフト、雇用契約時間があるはずなのに残業ありきでやるしかないという精神論。労働基準法とかに抵触してないのでしょうか。無法地帯なのですか。

また立場が弱すぎて、支援員会議の中心人物は自治体の公務員です。

支援員が議題を提出しても、相談もなく削除されます。会議の意味がありません。これのどこが児童健全育成事業なのですか。

もちろん無資格の私はこの会議に出席できません。共に働く有資格者に全てを託すわけですが、皆が皆私のように組織や立場の壁を越えて発言できるタイプではありませんから(一応気にはかけていますよ)、現場では統一見解であっても主張して来られない場合もあります。

悪しき慣習の組織としか言いようがありません。

有資格者である意味はどこにありますか。

事務職とすら連携できないとはどういうことですか。

こうなると、この自治体は子育て支援についてどんな施策のある自治体なのか気になってきますよね。

どんな長が治めている自治体なのか、とても気になりますよね。

私は自分も保護者としてとても気になったので、自治体の子育て支援事業計画書を読んでみることにしました。感想はまた別の記事に書くことにします。