ローマ書に、とても励まされる皆さんもよくご存知のみ言葉がある。

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 

つまり、現実生活において、いろいろな苦労があったにしても、それはすべて神の御計画の中にあり、結果としてすべてを益に変えてくれるということです。

今朝、使途の働きを読んでいて、思ったことです。

実は、パウロ自身が、「すべてのことを働かせて益としてくださる」ということを、身に染みて感じたのでないかということです。

パウロは、使徒として、イエスキリストから直接召しを与えられ、異邦人への宣教に向けて大活躍をする。

そして、新約聖書の書簡の多くが、パウロによって書かれている。

しかし、その彼をして、順調に事が運んだわけではない。

彼は、イエスから直接の召しを与えられ、当然、彼の心は燃え、「そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」(使徒9:20)とある。

しかし、彼を殺そうとねらわれ、結局、タルソに送り出される(30節)。

その後、彼が、バルナバによって、アンテオケに連れてこられるまで、9年を要するのだ。

(使徒11:25)

9年は、長い。

その間、彼は、干された思いがあっただろう。

宣べ伝えたくても、実質、封じられている。

「一体何だったのだろう。キリストから呼ばれたのは、何だったのか。」と思ったのかもしれない。

しかし、神の御計画は、着々と勧められていたのだろう。

パウロが、イエスを信じた直後から、そのまま、宣教活動を始めたらどうだったのか。

神は、それよりももっと大きな計画があったのだろう。

一見、干された隠遁的な生活。

しかし、彼は、その間、聖書を読みふけり、そして、あの偉大な教理「信仰義認」を、まとめることが、出来たのではないだろうか。

彼は、そもそも優秀で、プライドの高い人だった。

その矯正期間にもなったのかもしれない。

必要な準備期間。

それらが、9年の歳月で、神の御計画だったのだろう。

そして、神は、バルナバを促し、パウロを連れ戻す。

何という神の御計画、神の摂理。

 

このことは、私たちにも、まったく当てはまる。

何かうまくいっていないように思える状況。

神が働かれていないと思える状況。

さらに加えて、人からの批判や中傷さえあるような状況。

しかし、神は、すべてのことを働かせている。

それらは、すべてを益にしてくださるためのプロセスなのだ。

ですから、くさらず、ただひたすら神を信じ、聖書を信じ、神の御計画を待ち、そして従おう。

 

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