パウロは、こう語る。

ローマ1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 

この前半の表現、私は福音を恥とは思いません、には、わたしは最初違和感を持っていました。

つまり、福音を伝えることは「私の大いなる誇りです」とか「私の大いなる喜びです」が、パウロらしい表現であり、またこの表現では私たち信者に、消極的なイメージを与えると感じたからです。

 

しかし、その私の思いは間違っていることに気が付きます。

つまり、今とは状況が違います。

これは、ローマ人への手紙です。

ローマ帝国からは大迫害をまじかに控え、またユダヤ教側からは、異端視され、攻撃されていたキリスト教福音。

その中で、ある意味、自信が持てなかった、つまり恥と思っていた信者も多かったのでしょう。

クリスチャンと名乗ることは、勇気のいることだったと考えられます。

また、パウロ自身が、十字架と復活の福音を、幼稚なものとして馬鹿にし、迫害する立場にあった。

そういう中で、あえて「恥としない」といったのではないだろうか。

また、彼らへの励ましとして、あえて強い言葉を使わなかったのでしょう。

その方が、かえって、信者への励ましとなったのでしょう。

 

信者が極端に少ない、日本においても、同じことが言えるかもしれません。

消極的な言い方が、かえって、私たちにずしりと響くことがある。

私たちが、世の中の大多数の圧倒的な力に気後れし、キリスト者でいることを、恥ずかしいと思ったり、あまり、公表しない場合があるかもしれない。

多少なりとも、恥ずかしいと思っている自分がいる。

そう思っている消極的な自分に「恥かしいと思ってはいけません」と、神はおっしゃりたいのでしょう。

 

なぜなら、福音の力は、圧倒的だから。

「信じるすべての人に、救いを得させる神の力」だから。

何よりも大切な救い。

勇気をもって、言いなさいと。

伝えなさいと。

神は、いろいろな励まし方をもって、私たちを促し、前に押し出す。

 

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