神は、行いとわざとを改めて、公義を行えとおっしゃる。

エレミヤ7:3 イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。あなたがたの行ないと、わざとを改めよ。そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。

7:4 あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ。』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。

7:5 もし、ほんとうに、あなたがたが行ないとわざとを改め、あなたがたの間で公義を行ない、

7:6 在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、

7:7 わたしはこの所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住ませよう。

 

神が望まれるのは、私たちの悔い改め、それは神に立ち帰ること。

それは、旧約、新約を問わず、変わらぬ神の思い。

そして、神は公義の源であられるお方。

神を知り、立ち帰った時、公義を行うことが、証として伴う。

公義の性質として、社会的弱者へのあわれみが、再三繰り返される。

特に、貧しい者、虐げられているもの、あるいはこの節に具体的に書かれている「在留異国人、みなしご、やもめ」である。

神は、あえて、具体的にこれらの方々への配慮をおっしゃっていることを、私たちは、十分に踏まえる必要があるだろう。

あえて特別におっしゃっている。

 

わたしも、妻と二人で、活動を始め、困っている方々とのふれあいを通じて、いろいろなことを学びます。

時に、だらしなさに、あきれることもあれば、逆に、素直さ、純粋さを知って、自分より謙虚だと思うこともある。

さまざまである。

しかし、一つ言えることは、それぞれの生い立ちや環境が、やはり、大きく影響しているということだろう。

私たちには、わからなくても神は、すべてをご存知である。

そういう意味で、聖書が言っているように、貧しい、虐げられている、在留異国人、みなしご、やもめになったことへ、配慮や思いやりが、まずは必要なのだろう。

 

神の導きを通じて、私たちは相対する。

相手の立場に立ってまず考える。

その上で、個人の状況や年代に応じ、必要に応じ、個人の責任を説いたり、甘えの構造がある場合、是正の必要性を説く。

まだまだ、わからないことは多いです。

反省することも多い。

このような相談・サポート活動を妻と10年継続してきました。

 

神は、公義を求め、不公正を否む。

神は、いつも正しいお方であり、あわれみをもって、私たちを導こうとされる。

私たちは、神の御心とともに、公義を行っていきたいものです。

 

ミカ6:8 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。

 

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