洗礼式も終え、あらためて思うこと。

イザヤ1章

1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

1:19 もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。

 

私たちは、自分勝手な道を歩んできました。

わたしも同じです。

神を知らずに、求めずに。

滅びることも知らずに。

しかし過去どんな罪を背負っていても、神の声に聞き従うのなら、罪は消える。

緋のような赤が、真っ白になる。

つまりは、自分の声に聞くのか、神の声に聞くのか。

自分の思いに従うのか、神の思いに従うかによって、レールが全く違ってくる。

機関車は、レールにのっているからこそ、初めてその役割を果たせる。

目的地に行ける。

もしも、アスファルトの道路に機関車が置かれていても、まったく役にたたない。

機関車は、レールの上に乗ってこそ、役目を話す。

そのために造られている。

私たちも同じである。

私たちの造り主は、私たちの人生のレールを備えておられる。

私たちが、神を知り、新しく生まれ変わり。神のレールに乗って、初めてやっと、走ることができる。

目的地めがけて走ることができる。

 

ですから、私たちは、私たちの造り主である神の言葉に、聞き従う必要がある。

そのことに気づくか、否かですべてが決まる。

そのことを、伝えていきたいものです。

 

イザヤ55:6 主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。

55:7 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。

 

あわれみ深い神に感謝です。

 

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