聖書のすばらしさは、ゴールが提示されていることだと思う。

今がいろいろ大変でも、うまくいってなくても、ゴールが見える。

行くところがはっきりしている。

必ずゴールがあり、かならずゴールにたどり着ける。

 

私たちは、ゴールが見えれば安心できるだろう。

イザヤ書を読みながらも、そのことがわかる。

イザヤ書では、「その日」が43回使われている。

それは、終末の時であり、クリスチャンにとって、救いの完成の時でもある。

御国の完成の時である。

 

イザヤは、神からのメッセージを伝え続ける。

暗い時代、他国の侵略の脅威にあっても、恐れず、神に頼ることを伝え続ける。

民の心が神から離反していること、宗教的なふりをしているに過ぎない偽善性等、厳しいことをそのまま伝える。

 

一方で、未来を告げる。

メシアを預言する。

そして明るい希望、御心に従う中での確実な未来、救い、ゴールを提示する。

しかも、何度も。

そういう意味で、イザヤ書は、希望の書だろう。

旧約時代において、確かな未来を提示した、たぐいまれな預言の書。

私たちは、とても励まされます。

 

25:6 万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。

25:7 この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、

25:8 永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。

25:9 その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」

 

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