パウロは、ローマ書で信仰義認を展開する。
凝縮すると、3章22節そして24節がその結論であり、シンプルである。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
真理は、多弁を要さなく、わかりやすい。
感謝なことです。
そのことを、アブラハムによって例証していますが、わかりやすいし、励まされる。
4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
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4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
クリスチャンにとって、信仰がますます強くなることは、とても大事なことです。
体は、弱っていきます。
それは私も実感します。
しかし、ありがたいことに、信仰は強まっていきます。
神には、すべてが可能だと本当に思えるようになってきました。
そう思うと、現実が変わってきます。
神様の働きを実感していきます。
そして、神への信仰がさらに強まっていきます。
この世の原則と御国の原則があります。
アブラハムは、神が語ることに最も重点を置いたのでしょう。
人の言うことを、軽んじたり無視するという意味ではありません。
アブラハムは、人との対応において、とても丁寧で礼儀正しいものがありました。
その点でも、アブラハムには学べます。
しかし、彼がこころの中心においていたのは、神の言葉です。
人や友達や社会が語ることよりも、神が語ることに重きをおく。
神の語ることは、私たちには聖書です。
聖書に基づいて、考え行う。
体は日々弱まるが、こころと信仰は日々強まっていく。
そのようにして、生涯をおくり、この世の一生を終えたいものです。
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