今日の礼拝説教は、主の祈り後半です。

前半は、神の幸せを祈る。

後半の三つは、私たちから神への願いの祈りです。

 

まことに、キリストの祈りは、スケールが大きいと感じます。

まずは、神の幸せを祈る。

祈りの大原則で、私たちは、祈りの大原則から外れている傾向がある。

で書いた通りです。

ご利益宗教、私たちの自然な思いとは、一線をかくします。

 

しかも、11節からの私たちからの願いは、短い祈りにすべてが集約されています。

6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

 

つまり、私たちのすべての必要なこと、つまり体、精神、霊にかかるすべての必要性が包含され、その祈りを、完璧に教えてくださいます。

生存のための具体的必要、罪の汚れと罪責からの清め、罪とその力から守れるための祈りが、私たちの必要性のすべてを凝縮されています。

そういう意味で、この主の祈りは、完璧です。

あとは、思いを込めて、しっかりと、祈れるかどうか。

神は、私たちの心からの祈り、私たちとの霊の交わりを喜ばれ、その願いをかなえようとされます。

 

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