イエス様の教えは、一見極端に思える場合がある。
ありえないたとえ話も多い。
過激な表現もある。
マタイ18:7 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。
18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
もちろん、罪深い私たちが、この通り実行していたのなら、手足、目がすぐにでもなくなってしまう。文脈からの総合的理解が必要だろう。
しかし、イエスの私たちクリスチャンへの、特に指導者に対する強い警告の思いが伝わってくる。
イエスが、特に、特に、強調したいことなのだろう。
人間には、情けないほどの自己中心性があり、競争意識があり、自分だけよければ、という意識がある。
まさに、罪の意識そのもの。
そして、自分のほんのわずかな優越を誇り、それが、素直な信仰心を持っている人、持ち始めた人を躓かせることになる。
イエスは、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(マタイ5:3)とおっしゃる。
心の貧しい者は霊的に極貧状態。
自力では生きていけない、神との関係なしには生きていけない。
そういう信者がまさに信者。
自分を誇る気持ちが、どこかにあり、人を裁く気持ちがどこかにあるのなら、まだまだなのだろう。
神の国とは、この世の競争社会などの力学、常識、ヒューマニズムなどに慣れている私たちには一見極端に感じるが、私たちの常識が非常識なのだろう。
イエスは、それを打ち破ろうとされている。
私たちのかたくなな心を、砕こうとされる。
イエスの御心に、ついていこう。
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