パウロの宣教に対する思いは強い。
1コリント9:19に書いてある通り、「より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」
強い思いと同時に、とても合理的な考え方だろう。
ユダヤ人にはユダヤ人のように、とある。
私たちも日本人には、日本人のように、キリストを伝えていく必要がある。
日本人特有の思い、メンタリティーがある。
私たちは、そのことを重々知っており、その同胞意識から、共通認識から伝えていくべきだろう。
ただでさえ、西洋の宗教との思いを持っている方が多いのだから。
律法の下にある人には、律法の下にある者のように、とある。
日本には、仏教、神、アニミズムを信じている方も多い。
あるいは、自分は無宗教だと思っている方も多い。
その前提に立つ必要があるだろう。
つまり、私たちもキリスト信仰に入る前は、何らかの信じるものがあったはずであり、その感覚がわからるはずである。
その立場から、お互いに始めればいいのである。
つまり、相手の立ち位置に、まずは敬意を払うべきなのだろう。
弱い人には、弱い者に、とある。
私達も、弱いのである。
私たちも、間違いをおかすし、ノイローゼになることもあるのである。
落ち込むことも多々、あったのである。
自分の弱さを重々知ったがゆえに、神にゆだねることを知らされた。
弱かった自分、弱い理由は、よく分かっている。
その共通認識から会話を始めればいいのだろう。
いずれにしても、相手の気持ちに立った上で、尊重した上で、ゆっくりと、福音の真実を語っていくことが、求められるのだろう。
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