出エジプトは、主の御手が、イスラエルの民を約束の地に連れ出す、とても大きな歴史的事実である。

神は大きく働かれる。それだけ、重要な日だったのである。

「この夜、主は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。」(出エジプト12.42)や「彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、日の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。」とある。

また、それ以前にも、主による奇跡の数々、過越しの神の救いは、彼らの心を震わせ、彼らの信仰を強めたものと思われる。

彼らは、一致して新しい一歩を進めた。

しかし、パロが戦車を率いて追跡してくると、彼らは、非常に恐れたと、聖書に書いてある。

「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも良かったです 」とまで言い出す。

 

私たちも、この世に現実の厳しさが襲ってくると、たちまち、右往左往しがちである。

経済や健康問題に対する恐れ、人に対する恐れなどである。

問題が、とても越えられない壁のように思い始める。

直前まで、信じていたことが、ふらつき、たじろぎ、この世的な思いになる。

しかし、モーセはこう言う。

14:13 それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。

14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

さらに、主はモーセに言う。

14:15 主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。

 

これが、信仰の戦いなのだろう。

恐れてはいけない。

信仰と恐れとは、同時に持てないのである。

どちらに立つか。

信仰の上に立つ必要がある。

信仰にしっかり立つ。イエスによって、私たちは立ち、立ち続けなければならない。

その上で、前進せねばならない。

後退してはいけない。

留まってはいけない。

前進あるのみ。

恐れず、信仰にたち、前進あるのみ。

しかし、自分の力では、進めないのである。

神により頼む。

進みながら神に祈る。

祈りながら進む。

それが、クリスチャンライフなのだろう。

 

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