神が下ってくるとき。

テーマ:

出エジプト記

3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。

3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。

3:9 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。

3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」

 

神は、人の痛み、しいたげられている状況を、憂い悲しむ。

そして、それを打開されようとする。

その時、神は下ってくる。

それは、人を使って行われる。

神は、日本の状況を憂いていると思う。

経済的繁栄の陰では、多くの人が、精神的ストレスを感じ、悩んでいる。

虐げられている。

子どものいじめは、大人社会の反映だ。

心のそこは、満たされない思い、不安、何かが違っているという感覚を抱いている。

しかし、その原因を理解していない。

結局は、「神の国の義を求めるのか、金を求めるのか」の選択の中で、金を求めているからだろう。

神の国の義を求めるということが、まったく理解されていない信仰的背景がある。

現世での物質的豊かさを求めること、自分の健康長寿を求めること、それが幸せの尺度となっている。

それが、人生の目的になっていることに、あまり疑問を感じていない。

お金や健康は、生きる手段に過ぎないのだが。

そういう意味で、精神的病根は、根深い。

一方、政府は、人を70歳まで、働かせようとしている。

目的は、経済の為、国の財政赤字対策の為である。

神の国の義は、程遠いものがある。

神が、下ってくる時期ではないか。

神が、下ってきてほしい。

その時、クリスチャンは、使われる。

日本のリバイバルは、日本のこの状況に、かぎがあるのかもしれない。

 

このブログを読んでいただき感謝いたします。

一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。


にほんブログ