マタイ22章は、「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。・・・」で、始まる。

つまり、神の子イエスの最高の祝宴に、イエラエルの民が、招待されている。

しかし、パリサイ人をはじめ、多くの民が、招きに応じない。

王からの招き、つまり神からの招きということを、感じ取っていない。

 

しかし、そのことは、私達にもいえる。

私も、そのことを感じ取れないばかりか、神を積極的に否定する側に回っていたようだ。

そして、56歳にして、やっと神を信じる。

信じない側に、長くついていた分、考え方が変わって信じる側に付くと、それは確信となる。

神に完全にギブアップしたので、もう逆らうことはまったくない。

これは、私の場合だが、そういう意味で、神は、いろいろな形で、人を招き導いているのだろう。

しかも、信者になるまでの間に、無駄なことは、ないようだ。

すべてが、経験となり、益に変えてくださる。

こうして、私は、招かれ、選ばれる者になったわけであるが、時期やタイミングは、人それぞれである。

まさにその時、招きに応じるか否かは、私達の意志による。

つまり、宿命論的に選ばれたのではなく、自らが選んだわけである。

これが、とても大事なこと。

そして、結果として、選んだ者は、選ばれた者になった。

選ぶ者になろう。

 

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