人間は、罪をおかし、またそれを重ねる。
それはクリスチャンも同じで、アダムの子孫であるから、罪をおかし続ける属性がある。
聖書に書いてあるとおりである。
もちろん、それらを反省し、繰り返さないように、心がけることが求められる。
しかし、その罪意識を、過剰に引きずるのはよくないと思う。
なぜなら、罪は、過去も現在も未来も、既にイエスの尊い血の贖いによって、許されているのだから。
自分の罪深い性質は、神が重々よくわかっており、それを、神を信じる信仰によって、許されているのだから、自己の罪性を考え続けるのは、ある意味、時間の浪費であるばかりか、神の尊い御技を、まだ信じていない、軽んじていることになる。
聖霊様の働きによって、私たちは罪をおかさないように、訓練され、抑制されてはいるが、私達が、これからも罪をおかすことを、神は知っている。
問題は、罪をおかすことではなく、罪を言い表さないこと、認めないことだろう。
だから、罪を神に表明し、認めることが、大事なことだろう。
それで、充分なのである。
それ以上は、時間をとられてはいけないと思う。
神は、それを望んではおられない。
神が関心をお持ちなのは、私たちが、神から与えられた貴重な人生を、どう生きるかであろう。
私達には、神の深い愛が注がれている。
そして、私たちには、神のみこころとご計画があり、人生には目的がある。
聖霊様の促がしにそって、謙虚に、神とともに歩みたいものです。
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