神は、私たち一人一人に対して、ご計画を持たれている。

聖書での陶器士が陶器をつくる例えのように、それぞれのデザインや用途など、目的や計画を持って、私たちを御造りになったものと思う。

神は、正しく良いお方なので、誰一人として、悪いご計画をもっては、造られていないと思う。

神は、目的達成のために、私達を誘導し、暗示を与え、導こうとなさるのだろう。

しかし、神は同時に私たちに自由意思を与えられた。

だから、神のご計画に従うのか、従わないかの選択権は、私たちにある。

神のご計画は、最善であり、私達個々へのすばらしいご計画がある。

それは、この世的な尺度では推し量れなく、世的な成功とは、必ずしもリンクしないかもしれない。

逆に身体的ないしは精神的に、とても苦労するかもしれない。

しかし、試練を通して、大きな実を結ぶことも多い。

それも神のご計画なのだろう。

人生では、楽しい事や悲しい事、いろいろな事が起きる。

私たちは、その時々に、人生を選択して生きている。

神のご計画は、わからない場合が多い。クリスチャンでも同様であろう。

しかし、判断する基本的考え方は、聖書に書かれてある。

神の視点が書かれてある。

従って、それに沿って考え、行うことがベストである。

神のご計画が分からなくても、聖書的な考えや行いの積み重ねが、神のご計画に結果として、近づくことになると思っている。

一方、自己中心的な思い、ショートカットによる選択は、神のご計画から遠ざかるものになるのだろう。

私たちは、神から与えられた自由意思を、神の御国の原則に沿った方向で使う限り、正しい方向に進む。

それは、窮屈ではなく、自由であり、喜びであり、本当の力が生まれる。

逆に、神の原則に沿わない選択は、力もなく方向性のないものとなる。

神が私たちにとってベストとご計画くださった事からは、どんどん離れていってしまうのだろう。

聖書に立ち、考え行動しよう。

それが、神のベストのご計画を結果として知ることになるのだろう。

 

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