私たちは、全員、キリストのさばきの座につくと、聖書に書かれている。

Ⅱコリント5:10

なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

エレミヤ書17章10節

わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる」とある。

マタイ書16章27節

…その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。

 

クリスチャンであろうがなかろうが、神であるキリストによるさばきが、待っている。

行ないに応じた報いがある。

キリスト様にあえる喜びがありながらも、さばきの瞬間は、緊張するのではないか。

というのも、この世で良かれと思い、行っていたことが、私達の深いところまで、ご存じの神が、はたして、本当に評価していただけるのだろうか。

「お前は、よくやった。」と言われるのが、ベストだが、それはわからない。

厳しい答えがあるかもしれない。

まさに神のみぞ知る。

しかしはっきりしていることがある。

私たちは、まだ生きている。

この世での人生は、まだ残っている。

だから、まださばきの内容は決まっていない。

行いが不充分だと思っていれば、考え方を改め、良い行いをする。

一方、行いがよくなされていると思っていれば、さらに神が喜ばれる生き方に精進する。

いずれにしても、これからが大事だ。

愛のある良い行い。

神をおそれ、あがめよう。

 

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