旧約聖書の預言者は、おのおの辛い役回りを命じられる。

その中でも、エレミヤのそれは、とても切ないものだったろう。

北からくる民(バビロニア)によるユダの滅亡を告げるのだから、民には、非国民扱いされる。

戦争を行っている時、「日本は、戦争に負ける。」と言っているようなものだから、神の命とはいえ、大変だったろう。

彼は、時に神への不平を言うが、気持ちはよくわかる。

「神様、いい加減にしてもらいたい」と、私なら言うだろう。

しかし、彼は結局、ひたすら忠実に、神のことばを伝える。

そして、新約時代の私達の心を打つ。

9:23 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。

9:24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。――主の御告げ。――

 

私たちは、クリスチャンであっても、自分自身を誇る傾向がある。

私達自身への思い、自己中心の思い、プライドである。

それは、神がもっとも戒めること。

それは、神から離反させる思いであり、この世的な思いである。

しかし、一つだけ、誇ることを神は認める。

それは、「悟りを得て神を知っていること」、だという。

本当にそうである。

全知全能の神を知っているという事は、何と幸いなことか。

その神から知られているという事は、何という特権だろうか。

何と感謝なことか。

神を知り、神から知られているという事は、唯一無二の幸せであり、誇りである。

しかもその神は、地に恵みを行う方であり、公義と正義を行う方であり、その事を、神自らが喜ばれるという。

この神による宣言は、私たちを安心させてくれる。

安心してついていける。

そのような神なら、私達も喜んで従い、神と共に生き、働きたくなるではないか。

 

このブログを読んでいただき感謝いたします。

一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。


にほんブログ村