マタイ24章にこうイエスの御言葉が書かれてある。

24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

 

聖書は、神の御言葉である。

その御言葉を、毎朝、読んでいるが、時に、雑念が混じりながら、ただ、目で追っているに過ぎない場合もある。

つまり、御言葉を御言葉として受け止めていない時間が有る。

しかし、イエス様は、この天地が滅び去っても、私のことばは決して滅びないとおっしゃる。

実は、御言葉を一番大切に、不動のものにされている方は、イエス様なのだ。

そのことを、聖書を通じてまた、痛感する。

人間の肉体をまとったイエス様が、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上っていかれた時である。

サターンは、断食後のイエスを、誘惑する。

4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」

4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、

4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」

4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」

4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、

4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」

4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」

 

有名な聖句だが、イエス様は、すべての誘惑に「聖書にこう書いてある。」だけで、答える。

大変な誘惑だ。

もし、私が同じ誘惑を受けたと仮定すると、心もとないと言わざるをえない。

イエス様は、人の子として、私たちに見本を示していると言われる。

まさに、彼は私たちに御言葉に忠実に生きるようにという。

それだけなのだという。

私たちの生きる尺度は、それしかない、それだけで必要充分だと言っているようである。

 

そうなのだろう。

私たちは、神のもの。神が、御言葉に忠実に生きよ、とおっしゃる。

それは、永遠に滅びないとおっしゃる。

その御言葉を心に吸収し、御言葉が素直に行動原理になるようにしよう。

御言葉は、聖書に書かれてある。

聖書は、神からの啓示の書と言われている。

神は、聖書を読む私たちに、ご自身を開示なさる。

そして、私たちに直接、影響を与えようとされる。

私たちの改造を実行される。

そして、私たちは、神の思いに徐々に、近いものになっていくのだろう。

 

このブログを読んでいただき感謝いたします。

一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。


にほんブログ村