この世指向か、神への信仰か、聖書には多くの事が書かれてある。

詩編にはこのように書かれてある。

49:16 恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。

49:17 人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。

49:18 彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。

49:19 あなたは、自分の先祖の世代に行き、彼らは決して光を見ないであろう。

49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

 

人間は、人が気になる。

それは当然だろう。毎日、人々の中で生きているのだから。

自分が欲しなくても、情報が入ってくる。

また、会社や組織の中では、他者と、好むと好まざるとに係わらず、コミュニケーションを取らなければならない。

近所付き合いもある。

いずれも一定の調和も必要となる。

まことに、この世で暮らすのは、大変なことである。

特に人間関係において、そうである。

多くの人の価値観が、この世的の価値観を求めている。

だから、この世的な価値観に自然に影響を受けやすいのだ。

富は、生活を安定させ、不安を取る為、分かりやすい尺度になる。

また、お金には無縁であっても、人から受ける評判、良い評価はうれしいものである。

生きている結果としての富や人からの好評は、それ自体悪いものでない。

しかし、それらが目的化した場合、とんでもないことになると、聖書は言っている。

また、途中からこれらが目的化する場合もあるのだ。

もしかして、そのことに気がついていない場合すらある。

プライドも、自分がプライド状態になっている時は、他人にはわかるが、自分では気がつかものだ。あとからハッと気がつく。それと状況が似ている。

このように、私たちは、一生たえず自己点検していかなけれがならないだろう。

だから、やはり聖書、御言葉を素直に聞くことが重要なのだろう。

そして、永遠の視点からたえず見ていくことを、習慣化しなければならないのだろう。

 

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