教会の有り様に関して、黙示録の中で、イエスが、7つの教会に対して、具体的に指摘している聖句がある。

これは、神様が、自らの教会に対して、判断を示している例として、謙虚に踏まえるべきだろう。

7つの教会のうち、5つの教会が非難される。その理由は、信仰、愛の欠如、世的な傾向、なまぬるさ等で、分かりやすい。

それは、個人に対する非難、警告であり、心して聞く必要があるだろう。

一方、評価された教会は、スミルナ及びフィラデルフィアにある教会である。

この二つの教会から読み取れるのは、決して大きな豊かな教会ではない。しかも、苦しみや貧しさのただ中にある。しかし神への忠実と忍耐を守っている。そしてイエスからとても愛されている。

つまり、クリスチャンも教会も、神の教えに忠実で、聖書的な歩みをしているかどうか、という事だろう。

ようするに、本当に神を愛しているか、隣人を愛しているか、その密度が濃いかどうかだろう。

そこに愛があるかどうかだろう。

教会も個人も、神からの役割があるが、そこに愛があるか、本当にその人のことを思って、愛して、行っているか。

形骸化していないか。責任を果たしているか。

私も、神からの召しをうけ、障がい者等へのサポート活動を行っているが、ホープ再生自転車販売という柱ができた為、彼らへの仕事や社会的経済的支援が、責任を果たせるようになってきた。

そこで、もう一方の重要な柱である魂の救いという観点で、私に何ができるかと模索を続けてきたところである。

彼らは、就労支援を求めて事業所ホープで、働きにきているわけだが、仕事提供の責任だけでなく、彼らが真に有意義な人生をおくる為、福音を伝えている責任がある。

彼らが、神を知らずに死んだ場合、聖書に書かれている状況にならないようにしたい。

それこそ、私が書いた本「死ぬまでに必ず聖書を読んでおく必要性」をまさに、伝えていきたいのだ。

それが、私の役割であり、愛というものだろう。

毎日、顔を合わせて暮らす中で、情も移り、その責任をひしひしと感じている。

他者や教会に預け頼るわけにはいかないだろう。

自分でできることは、しなければならない。

そこで、任意参加の聖書勉強会を始めた。

すぐに救いもおきてきた。

神様は、この取り組みを望まれているのだろう。

フォローも必要になってくる。私自身ももっと勉強する必要がある。

体制も築いて行く必要がある。

明日、また続きを。

 

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