Ⅰサムエル記を読んでいて、思わず笑ってしまう聖句がある。

祭司エリや息子たちが、主の命に従っていないことに対する主の御告げの箇所である。

1サムエル2:30 それゆえ、――イスラエルの神、主の御告げだ――あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、――主の御告げだ――絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。

 

神が、「確かに言った」が、今は、「絶対にそんなことはない」という。

ああ、神もそのようにおっしゃるのだと思った。

つまり、神が永遠にと約束したことを、ひるがえす。神が、約束されたからといっても、安心してはいけないということだ。

さらには、神は、その人の未来まで見通し、すべてわかっていて、この人は悪くなることは決してなく、永遠に・・・と言っていたわけではないという事なのだ。

すべては、神との関係として、あなた次第ですよ、という事なのだろう。

神は、いつまでも変わらない。変わるのは私。私は、神に対してどうなのか。つまり、わたし(神)を、あなたが尊ぶなら、私は尊びます。あなたがわたし(神)をさげすむのなら、わたし(神)は、あなたを軽んじます。という事なのだ。

つまり、あなた次第ですと。

 

さて、新約の世界ではどうだろうか。イエスキリストの尊き犠牲の上でも、何が永遠に保証され、何が保証されていないのか。何が違うのか。

私には、よく分からない。いずれにしても、神様が判断されることで、神様の仕事なのだろう。私が判断することではない。

いずれにしても、大切なことは、神の望まれることを、ひたすら学び行うこと、その努力を継続する必要性だけは、変わらない。私達の責任だろう。

 

サムエル記で「今や」と表現されていたように、今こそが、肝心なのだろう。

過去を悔いても始まらない。過去が素晴らしくでもだめ。未来を心配してもどうにもならない。

従って、余計な事は考えずに、聖書を尊び、まさに「今を」、神とともに生きることなのだろう。

 

このブログを読んでいただき感謝いたします。

一日一回クリックの応援をいただくと、とても励まされ感謝です。


にほんブログ村