ローマ書で、パウロは、私は負債を負っているという。
1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
私たちは、クリスチャンとしての特権、祝福をいただいている。これが、資産だろう。
これは、ただで受け取ったのだから、ただで与える責任がある。それが負債である。
これは、クリスチャンとしての必要な意識、考え方だと思う。特権、祝福をいただいたのに、単にラッキーとしてだけ考えてはいけない。責任が伴う。
神から受け取ったものは、どうするか。それは、神にお返しする事になる。
それでは、何をお返しするか。神が、おっしゃったことを、人に対して、世の中に対して行うことなのだろう。
聖書に書かれたことや個人的に指令されたことを忠実に行う。それを行うべき負債を負っている。
あとは、その無償で与えられた資産を、個人がどう喜び、感謝する程度の違いによって、それをお返しするエネルギーが違ってくるのだろう。
だから、私たちはまず、しっかりと与えられた恵みを深く感じ取り、知り、継続して感謝し続けることを、忘れてはいけないのだろう。
恵みは、無限の規模なので、本来お返しする規模も本人の受け止め方によっては、無限にもなるのだろう。
信仰の巨人といわれた方々は、その思いが強かったのであろう。
私たちも、平等に無限の恵みを受け取っているので、無限の可能性がある。
通常、負債は、重荷にはならない。
しかし、同時に聖書にも書かれているように、時々、責任を果たそうとしすぎて、重荷を背負ってしまうことにもなりかねない。プレッシャーになってしまう。
責任感の強すぎる人に、陥りやすい傾向だと思う。エリヤですら、うつ状態になった。
しかし、神は同時にいわれる。「私が、ともにいる。悩むな。私に重荷を預けなさい。私にゆだねなさい。」
悩みは、そのまま神に預けよう。落胆しないようしていると、解決策が主から与えられる。
そして、私たちのメンタルが整えられてくると、神は「怖れるな。勇気をだせ。私がともにいる。」と励まされる。神は、私たちの状態を良くご存知で、環境を整えても下さる。
だから、神に全幅の信頼をおいて、おごらず、そして悩まずに、私たちの思いや計画やわずらいも、すべて神にゆだねよう。
貴重な人生において、特別の資産が神から与えられ、負債も伴っていることを神に感謝しよう。
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