モーゼには、同情し、そして敬服する。

彼のような、大変な思いをした人は、いないだろう。

パロは、自信のある人で、この世の成功者の象徴のような人である。

パロからこう言われる。

出5の2

パロは答えた。「主とはいったい何者か。・・・私は、主を知らない。イスラエルを行かせはしない。」

この世の現実というものだろう。私も、若い時、キリスト教関係者の家庭訪問を受けたとき、「神様とは、何ですか。私は関心がなく、私には関係がない。」と答えたものである。

いわんや、パロは、自らを神としていた人であり、この世の支配者そのものである。

パロの怒りを買い、民の苦役が強まり、身内のイスラエル人からは「主があなたがたを見て、さばかれますように」とまで、言われる。

完全な板挟み。

神からは、私の言う通りする様に命令される。

パロは、聞く耳がなく反感を強める。

民は、激しい労役に疲れ切り、聞こうとしないばかりが、批判される。

四面楚歌。

 

モーセは、神にクレームを言う。

「それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」

モーゼの苦悩はわかる。

リーダーの苦労であり、モーゼの状況とは、比べることはできないが、私も組織は小さいながら責任者の立場になると、同じような状況に追い込まれることは、ないわけではない。

皆さんも、それぞれの立場で、誰も理解してくれないと、ぼやきたくなることもあろうと思う。

 

モーセは、自分は口下手だとか、イスラエル人でさえ、聞こうとしないのに、どうして、パロが私の言うことを聞くのか、と反論を試みる。

しかし神は、妥協しない。しかも、「わたしの命じることを、みな、告げなければならない」という。みな言えと言われる。

結局モーセは我慢し、神の命令通り行う。

そして、多くの苦難を乗り越え、彼自身成長していく。

 

本当に、神のご計画は、寸分の狂いもなく、その通り、私達に命じる。

もしもの仮定なのだが、モーセが神の命についていくことができず、命令を放棄した場合どうなったのであろうか。

神のご計画は、変わらないので、誰か他の者を指名したのではないだろうか。

 

私は、21歳の時に「片足のない人の幻」を見ることにより、自分のこの地での役割は、今の活動なんだと、60歳を過ぎてからはっきりと示される。

その為にお前を訓練してきた。だから障がい者等の弱い立場の人に対して、大きな働きをせよと。神の栄光を現わすようにと。

この啓示に、実は私は大きな意味を感じている。

そのために、私は生まれてきたと。

 

神様は、多くのクリスチャンに、私と同じような働きかけを行い、そのサインを送っていると思う。

あとは、それを真摯に受けとめ、意気に感じて張り切って邁進するかどうか、であろう。

神は、私たちに期待している。

神は、張り切っている人、情熱を持っている人を使いたがるであろう。

それには、辛抱は重要な要素なのであろう。

そうありたいものです。

 

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