人間とは、ずいぶんと慾深いと、ふいと気付かされることがある。

それは、自分のことである。

例えば、順調に事業が進んでいるホープ再生自転車販売を例にとると、春先に驚異的に売れすぎ在庫が乏しくなってくると、売上が落ちてもいいから、もう少し、平準的に売れてくれないかと願い、また、逆に売り上げのペースが落ちてくると、もっと売れないかと願う。

かように、自分中心に考える傾向がある。

 

あるいは、物事が順調に進んでいる時、神に感謝し賛美するが、順調にいかなくなると、神への感謝が薄れ、欲求や願いに変化する。

順調にいかないことこそが、試練そして大きな祝福への道であるのだが・・・。

 

全ては、神様が支配している事を忘れ、自分に都合の良い求めを、ついつい、している。

そもそも、自分の思う通りには、行かないのに。

その事に、ふと気が付く。悪い癖が出てきたと思う。

神が、センターにはいなく、自分がセンターに居坐っている.

 

つまり、聖書に書いてあるように、すでに私は、私のものではなく、神のものである。

主権は、私ではなく神である。

しかし、いつの間にか、主権が自分に置き換わり、その上で、自分に・・・・・・してくださる神に感謝するという傾向が、生じていないだろうか。

 

それだけ、自分自身とは強敵で、人生はその繰り返しかもしれないです。

参照

著書その10:私が考えるクリスチャンの使命・責任と本出版のねらい

 

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