ガンジーが言っていた「キリストは好きだが、クリスチャンは嫌いだ」は、有名なお話だが、その事を、マザーテレサが、とても残念に思っていたようである。

マザーテレサも、クリスチャンが、悪いメッセンジャーになっていることを憂慮していたと思う。

 

クリスチャンになるという事は、大きな特権があるという事は、聖書に書かれており、まさにそうなのだが、誤解も生じやすい。

神に選ばれているという事、私達の罪は許されている事、天国で永遠の時間を神とともに過ごせる等の特権は、クリスチャンになって、また聖書をよく読んでいく中で、ジワリジワリと理解していくもので、理解が深まり、特権の意味が分かれば分るほど、反面、その責任や義務もとても大きいと肝に銘じるべきなのだろう。

 

私は、クリスチャンになったことが、遅かった事もあり、ガンジーの感覚が分るような気がしている。

クリスチャンになって、身近なクリスチャンたちと触れ合うと、まず、最初に感じるのが、仕事への信頼性が意外と乏しいのだ。分かりやすい例としては、約束が守られない。

私は、会社体験が長いので、一回でも約束が守られないという事は、致命傷になる。つまり、信頼関係を築くための第一歩であるべきだ。

しかし、これが意外と守られない。安易な感じがする。

それほど、重要だと思ってないのだろうか。

クリスチャンの方が、約束を守れない割合が高い様にすら思った。

私は、その感覚に最初随分悩んだ。

 

おそらく結局は、クリスチャンであろうが、なかろうが、約束を守る意識はあまり、変わらないのかもしれない。

つまり、クリスチャンになったから、社会的信頼性が高まるものではないという事が分かった。残念ながらそうである。

そのような人が、身近な約束すら守れないのに、愛を唱え、特権意識の雰囲気が前面に漂ってくると「言っていることと、やっていることが違う。何様のつもりなんだ。」と誤解を受けるどころか、嫌いになるのである。

 

ガンジーが知り合ったクリスチャンは、年配で、長いことクリスチャンであった方が多いと思う。社会的地位も高かった可能性も高い。そういう方々への率直な批判なのである。

つまり、クリスチャンになったばかりの方の問題だけではなく、かえって、ベテランの大人のクリスチャンに潜在的に内在する課題、と考えるべきではないだろうか。

お互いに大いに、反省しましょう。

 

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