詩編31章5

私の霊を御手にゆだねます。

真実の神、主よ。

 

この御言葉は、ユダヤの母親が、子供に最初に教える祈りの言葉ときいたことがあります。

神に、ゆだねるということを、私も徐々に信仰において学んでました。

私は、どちらかというと、何とか自分で切り開こうとして生きてきましたが、イエスを知って、そして困難に直面した時、とうとう、神に依頼する、神にゆだねるということを、学んだと思います。

悩みをゆだねることで、心の重荷が、すーと、とれていった事を思い出します。

不思議な感覚でした。イエス様が、荷ってくださったと思えた時でした。

苦しい時も、人生が順調にいっている時も、神を第一とする生き方が、求められます。

かえって、順調な時、神がセンターにいなく、自分がセンターに座っている場合があります。

自分が本当に困っている時、心から神により頼むのでしょうが、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」、あるいは「困った時の神頼み」のことわざにように、たえず、神を中心におき、神に常時ゆだねる姿勢は、努力して自分の中に形成していかなければならないと思います。

ある意味、自分との戦いでもある。

さらには、神にゆだねる祈りも必要でしょう。

 

さて、ユダヤの母親は、何が一番大切な祈りか、分かっていたようです。

それを、まず、子供に教える。さすがです。

私達のこの世のいのちが、いつ閉ざされるか、わからない。

一番大切なことは、私の悩み、思い、心、計画を神にゆだねるだけではなく、私の霊そのものをゆだねる事なのでしょう。

そして、死ぬ直前に、そういえる状態、信仰を持っていることが、試されるのでしょう。

イエスは、大声で叫んで言われたと、マタイ、マルコ、ルカ書に書かれています。

淡々と、言ってはいない。

父からの任務を100%完了したものの叫び、父に対する100%の信頼と愛を持たれていた方の叫びなのでしょうか。

さらには、イエスは完全に人間として、叫ばれたと感じる。人間イエスとしての神への叫び。

イエスは、このようにして、私達に、この世を去る模範まで、全力で身をもって示された。

心からそう言って、この世の役割を終えたいものです。

 

ルカ23.46

イエスは、大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

 

もし良かったら、一日一回、感謝です。

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