「親より先に逝くことは親不孝かもしれないけれど…
反面、
命が助かったとしても介護生活を余儀なくされたら
76歳で眼の悪いお母さんが(もちろん私たちがサポートするつもりでも)
46歳の息子を看ることは
体力面でも精神面でも負担が大きいだろうから
その点では親孝行だよ。
お母さんの手を煩わせないようにしてくれたのかな。
それに、
自宅でお母さんが見つけてあげれたということは、
彼(弟)とっても、幸せなことだったと思うよ」
突然息子をなくした母は怒り出したり、
ボーッとしたりと葬儀前後は感情のコントロールができなかったり、
「今日は誰のお葬式?」と言い出したりして、
一時は本当にどうなることかと思いましたが・・・
弟の良かったところもダメダメだったところも話題にしつつ、
励ましつつ、しっかりしてよとカツを入れつつ・・・
ケア関係の仕事に就いている友人にアドバイスをいただきながら、
やっと1か月が経とうとしています。
母の復活(!)に孫の力は絶大…助かりました。
特に今春から大学生として独り暮らしを始めた息子が
「おばあちゃん、期せずして76歳から一人暮らしになったね。
僕と一緒だよ。
いろいろとたいへんなこともあるだろうし、
寂しい時もあるだろうけど、僕もたまには電話をするから、
自分を大事にして、お互い頑張ろうね」
という言葉に素直に頷いていて…
この時から母も前向きになっていったと思います。
これからの生活について。
部屋はあるので
「気持ちの整理がついたら、こちらに引っ越してきたらどうかな?」
という話もしていますが、
葬儀からしばらくこちらにいた時も含めて、やはり私の夫にも気兼ねすると。
また、
いろいろな人から「自分でできるうちは一人で暮らした方がぼけないよ」
と言われたこともあり、しばらくは一人でやってみると。
母が戻ってから、毎朝の電話が日課に。
今後は1か月に2、3回泊りで様子を見に行ったり、
帰るついでにこちらに連れて来たりして、行き来しながら、
本人が「引っ越したい」と思ったらいつでも来てね、ということになりました。
こうしたことができるのも、夫や子どもの理解があってこそ。
感謝しています。
母は母で、自分だけが悲劇のヒロインではないと悟ったようです。
もっと幼い時に亡くなってしまうこともあれば、
一命を取り留めて周りの支えがあって頑張っている人もいる
障がいがあっても元気に過ごしている人もいる
人生いろいろ、自分だけがどうというわけではない。
私も残りの人生ぼちぼち進むよと話してくれるように。
今つくづく思うこと。
本当に明日のことはわからないから、
「今日」という日が愛おしくなるんだな。
夜寝る前には「今日も一日ありがとうございます」
朝起きたら「いい日になるといいな」って。
会いたい人には会ったり
好きなことやってみたいことをしたりして、
たわいもない時間を楽しむ。
ちっちゃなことは気にしない
大きく広くゆったり緩やかに・・・
自分がどう生きたいかを大切に、
前を向いて歩いていきたいです。