思い出し人生論

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死にたい消えたい、って逃げてるうちに自分の進みたい方向とは違う方向の人生に進んでいる時ってなんでなんだろう、って考えた。
人はみんな、死にたい消えたいって人生の中で思うことがあると思う。私も思う、でも簡単には死ねない。私みたいに口先だけでただ落ち込んでるだけの人もいるし死ぬ人もいるし死のうとして失敗した人もいるし今ならそこの山手線飛び込めるよって言う人もいる。死にたい消えたいとかって強い言葉だし不謹慎だからあまり使っていいものじゃないと思うけど今の世の中では辛い事に対する逃げ道として死ぬ消える、があるってだけで根本は物事に対して辛いと思う気持ち、だと思う。
私が考える辛い対象は二種類で、一つ目は自分の進みたい道にある障害物、よく小学校とかで教えられる例でいうと壁みたいなもの。二つ目は自分の進みたい道を邪魔してくる敵、マリオでいうクリボーとかハンマー投げてくるやつとかそういう部類のもの。一つ目は逃げちゃダメなやつ、自分の力でジャンプして乗り越えなきゃいけない、そうしないと前に進めないやつ。二つ目は逃げなきゃいけないやつ、倒すかうまくかわすかしないと自分が攻撃受けちゃうやつ。
辛いとき、人にこれはあなたの為だ、と言われても、それが自分の中でどっちかは違う。その人とは違う道を進んでいるから、必ずしもそれが壁とは限らない。寧ろそう言って辛さを押し付けてくる敵かもしれない。
その辛い対象がどっちかを見極める為に必要なのは自分の意思、理想、目標だと思う。自分の進みたい道が決まっていれば迷わずわかる気がする。それが進みたい道のりに必要な試練なのか、ただ自分の領域にズカズカ入ってくる侵入者なのか。理想とかを忘れると、知らないうちに進みたい方向とは違う方に進んじゃうんだと思った。
最近私は理想とか忘れて「理想のためにやることリスト」を義務のようにやって、辛いことがどっちなのか見極められなくなって全部受け容れたり全部から逃げたりしてた。今何かよくわからないけど辛いって人はこれが原因だと思う。でも理想がハッキリしてる人はそんなの当たり前だよ、って感じの文でした。。
何様だよ、子供のくせに、って感じの文なのでもしこれを読んで気分悪くなったらすみません。終